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朝比奈 信置(あさひな のぶおき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。今川氏、甲斐武田氏の家臣。 駿河今川氏家臣・朝比奈氏の庶流で今川家に仕えたが、後に甲斐武田家に属し、武田家中における他国衆のうち駿河先方衆となる。庵原城主。朝比奈元長(親徳)の嫡男と推定されている。名は元長(父と同名)、政貞(まささだ)とも言われる。 == 生涯 == === 今川家の時代 === 朝比奈家の出自であるが、義元・氏真父子を支えた朝比奈泰能や泰朝父子とは別系統とされる〔川口素生『戦国軍師人名事典』P82〕。現在の静岡市清水区所蔵の『朝比奈系譜』によると、信置の父は丹波守元長で、嫡子とされている〔。 天文17年(1548年)の小豆坂の戦いでは先陣を務め、手柄を立てた〔。また、『甲陽軍鑑』によれば、山本勘助を義元に推挙した人物とされる〔〔川口素生『戦国軍師人名事典』P83〕。 永禄12年(1569年)、武田信玄の駿河侵攻に際して武田方に帰属する〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝比奈信置」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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