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朝河 貫一(あさかわ かんいち、1873年(明治6年)12月20日 - 1948年(昭和23年)8月10日)は、日本の歴史学者。イェール大学では“Historian”、“Curator”(キュレーター)、“Peace Advocate”(平和の提唱者)として評価されている人である。 == 生涯 == 福島県二本松市出身。父は旧二本松藩士朝河正澄、母は旧田野口藩士の長女杉浦ウタ(ウタは貫一が2歳の時に亡くなったため、その後は父正澄と継母エヒに育てられる)。 1874年(明治7年)、父正澄が「伊達郡立子山村小学校」〔福島県郡山市立金透小学校所蔵朝河貫一自筆履歴書〕(現福島県福島市立立子山小学校)の校長格として赴任するため、現在の福島県福島市立子山にある天正寺に移住した後、新校舎とともに建設された校長住宅へ移る。天正寺には朝河が4歳の時に描いた馬の絵が現存する。 1878年(明治11年)〔福島県郡山市立金透小学校所蔵朝河貫一自筆履歴書〕、立子山小学校初等科に入学後、同校普通科・高等科(3級まで)を修了する〔山内晴子『朝河貫一論 その学問形成と実践』(早稲田大学出版部) 2009年〕。その後、川俣小学校高等科(現福島県伊達郡川俣町立川俣小学校)へ移り、1887年(明治20年)10月、蒲生義一に就いて英学を学ぶ〔福島県郡山市立金透小学校所蔵朝河貫一自筆履歴書〕。 1888年(明治21年)、現在の福島県福島市杉妻町にあった福島県尋常中学校(現福島県立安積高等学校)に入学する〔福島県郡山市立金透小学校所蔵朝河貫一自筆履歴書〕。1889年(明治22年)、現在の福島県郡山市に福島県尋常中学校が移転すると、朝河は郡山市の宮本家に下宿し、そこから通学する。福島県尋常中学校在学中、英国人教師トーマス・エドワード・ハリファックスに教えを受ける。 1892年(明治25年)3月、同校を首席卒業の後、5月〜8月まで郡山尋常小学校(現福島県郡山市立金透小学校)で英語教授の嘱託を務める。 1892年(明治25年)12月、東京専門学校(現早稲田大学)に編入学し、1895年(明治28年)首席で卒業。同校在学中に大西祝、坪内逍遙、夏目漱石〔山内晴子『朝河貫一論 その学問形成と実践』(早稲田大学出版部) 2009年〕等の教えを受ける。またこの時期、横井時雄により洗礼を受ける。 1895年(明治28年)、大西祝、大隈重信 〔阿部善雄 『最後の「日本人」 — 朝河貫一の生涯』 岩波現代文庫 岩波書店 2004年、19頁、306頁〕、徳富蘇峰、勝海舟らに渡航費用の援助を受けてアメリカへ渡り、ダートマス大学へ編入学する。 1899年(明治32年) 米国ダートマス大学を卒業する。 1902年(明治35年)イェール大学大学院を卒業する。1902年(明治35年)Ph.D.を受ける。 1902年(明治35年)ダートマス大学講師となる。 1905年(明治38年) クラウンポイントの教会でミリアム・キャメロン・ディングウォールと挙式する。 1906年(明治39年)〜1907年(明治40年)米国議会図書館とイェール大学図書館から依頼を受けた日本関係図書収集のため一時帰国する。(第1回帰国) 1906年(明治39年)9月〜1907年(明治40年)6月早稲田大学文学部講師となる(英語を担当する)。 1907年(明治40年)再渡米、イェール大学講師、次いでイェール大学図書館東アジアコレクションキュレーターに就任する。 1907年(明治40年)ミリアム・キャメロン・ディングウォールと入籍する。 1910年(明治43年)同大学助教授となる。 1913年(大正2年)ミリアム・朝河と死別する(ミリアムの墓は米国コネティカット州ニューヘブン市内エヴァグリーン墓地にある)。 1917年(大正6年)〜1919年(大正8年)東京大学史料編纂所に調査・研究のため一時帰国する。(第2回帰国) 1930年(昭和5年)イェール大学準教授となる。 1937年(昭和12年)日本人初のイェール大学教授に就任する。 1941年(昭和16年) 日米開戦を避けるため、天皇宛米国大統領親書草案をラングドン・ウォーナーに渡す〔『朝河貫一書簡集』 書簡編集委員会編、早稲田大学出版部、1991年〕。 1942年(昭和17年)同大学名誉教授となる。 1948年(昭和23年) 同大学図書館日本部長兼キュレーターを務める〔”Japanese scholar Asakawa honored at Yale garden dedication” NEW YORK, Oct. 12 ,2007 US/Eastern, (AP) - (Kyodo)〕。 1948年(昭和23年)バーモント州ウェストワーズボロで死去する。遺体はコネチカット州ニューヘヴンのグローヴストリート墓地に埋葬される。また、福島県二本松市の金色(かないろ)墓地に墓が建立されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝河貫一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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