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朝登 俊光(あさのぼり としみつ、1948年6月3日- )は、北海道夕張市出身で、朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は霜降 利昭(しもふり としあき)。現役時代の体格は176cm、156kg。最高位は東前頭2枚目(1970年1月場所)。得意手は突き、押し。 == 来歴 == 中学3年生の時上京して、元前頭2枚目・二瀬山が率いる朝日山部屋に入門。1963年(昭和38年)7月場所で初土俵を踏んだ。 序ノ口に付いた時より「朝登」を名乗り、引退までの15年間で一度も改名する事は無かった。 以来、突き押しを武器に順調に番付を上げ、1967年(昭和42年)9月場所で十両に昇進。そして、1969年(昭和44年)3月場所で新入幕を果たした。初土俵の同期には後の横綱・三重ノ海や大関・旭國がいるが、朝登が入幕した時、彼らは新十両であった。 肩幅の広い巨体を活かしたぶちかましての押しが得意で、「ワーゲン」の異名を取り、引き落としや叩き込みなどもよく見せた。 東前頭3枚目の地位で迎えた1969年(昭和44年)7月場所では、3日目に横綱・柏戸を押し出しで破って生涯唯一となる金星を獲得、これを以って柏戸を引退に追い込んだ。また、この場所では、優勝した大関・清國にも勝っている。三賞受賞や三役入りは叶わなかったものの、この年は幕内上位での健闘が目立った。同年は、東京中日スポーツの年間最優秀新人に選ばれた他、日本スポーツ大賞の新人賞も獲得している。 1973年(昭和48年)以降は、出足がなくなり引き技が多くなった事もあって、十両に低迷した。幕内は13場所で終わったものの、十両は51場所も務め、この地位での優勝も4度果たしている。 西十両10枚目で2勝13敗と大敗した1978年(昭和53年)5月場所を最後に29歳で引退し、年寄・東関を襲名。だが、借株であったため、断髪式(引退相撲)を終えた直後の1979年(昭和54年)6月に廃業した。 その後は政治結社「忠孝塾」の理事を務めていたが、1987年(昭和62年)に恐喝罪で逮捕された。 日本イエス教会の教祖でもあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝登俊光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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