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朝若 佐太郎(あさわか さたろう、1923年1月8日-1969年11月25日)は、愛媛県松山市西垣生町出身で、高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は中矢 悟(なかや さとし)。最高位は東前頭21枚目(1950年5月場所)。現役時代の体格は168cm、101kg。得意手は左四つ、寄り。 == 来歴・人物 == 15歳の時に上京し、同郷の元大関・朝潮が率いる高砂部屋へ入門。1939年1月場所で初土俵を踏んだ。 身長170cmに満たない短身で、体重も100kg前後と軽量であったが、そうした体のハンディを克服して順調に出世。 1946年11月場所で新十両に昇進し、以後、暫くはこの地位で一進一退を繰り返した。だが、次第に十両上位でも好成績を残せるようになり、1950年5月場所にて新入幕を果たした。 左四つからの寄りという、正攻法の取り口が身上であった。しかし、新入幕の場所では体力不足や体の小ささもあって苦戦し、4勝11敗と大きく負け越して1場所で十両へ陥落。 その後再入幕を目指すも叶わず、最後は幕下12枚目まで番付を落として1952年1月場所後、29歳で引退した。 引退後は年寄・高田川を襲名し、相撲協会では勝負検査役などを務めたという。 同部屋の後輩で、後に大関へ栄進する前の山と養子縁組を結んでいた時期があった。 1969年11月25日、病により46歳の若さで逝去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝若佐太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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