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木下強三 : ウィキペディア日本語版
木下強三[きのした きょうぞう]

木下 強三(きのした きょうぞう、1936年12月1日 - 2008年6月9日)は、広島県広島市出身のプロ野球選手。ポジションは外野手
== 来歴・人物 ==
広陵高校では広島屈指の好打者として活躍し、1955年広島カープへ入団〔カープ50年 夢を追って、中国新聞社、1999年11月、P58〕。1年目に開幕3戦目の大洋ホエールズ戦に代打でプロ初出場〔。初打席で初安打、初打点を記録した〔。2年目は左翼のレギュラーポジションを獲得〔。主に2番打者として111試合に出場し、打率.243を記録。1958年からは新人の森永勝治西鉄ライオンズから移籍してきた大和田明の加入で外野争いが激しくなり木下は外野のポジションを失った〔。1959年からは宮川孝雄横溝桂と共に左の代打として試合に出場した〔。1965年引退。引退後は広島のスカウトを経て、1975年から広島の二軍監督に就任〔。その後も広島でコーチ、広島選手寮の寮長を務め、1955年の入団から42年間カープ球団を離れることはなかった。その後横浜ベイスターズで中国地方担当のスカウトを務めていた〔。2008年6月9日に亡くなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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