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木下 芳丸(きのした よしまる、1929年6月27日 - 2008年12月31日)は、日本のフルート奏者。関西交響楽団、東京交響楽団、NHK交響楽団などオーケストラで活躍した。また、国立音楽大学、洗足学園大学で後進の指導にあたり、多くのプロ・フルート奏者を育てた。 == 年表 == *1929年(昭和4年)、東京に生まれる。機械が好きで技術屋を目指していたが、東京学芸大学在学中18歳からフルートを始め、校医であった穴沢順一に手ほどきを受ける。その後吉田雅夫に師事。 *1949年(昭和24年)、東宝交響楽団(現東京交響楽団)にエキストラとして参加。これがオーケストラに入るきっかけとなる。 *1950年(昭和25年)、関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)に入団。 *1953年(昭和28年)、第64回定期演奏会においてモーツァルトのフルート協奏曲第2番をマンフレート・グルリットの指揮で演奏。後に朝比奈隆の指揮でも演奏しラジオで放送される。 *1954年(昭和29年)、第74回定期演奏会においてJ.S.バッハのブランデンブルク協奏曲第5番を宮本政雄の指揮で演奏。 *1956年(昭和31年)、東京交響楽団に入団、首席奏者を務める。 *1961年(昭和36年)、上田仁の指揮でモーツァルトのフルート協奏曲第2番を演奏し、ラジオで放送される。 *1964年(昭和39年)、東京交響楽団の経営破綻・解散に伴いNHK交響楽団に入団、2番フルート(ピッコロ兼任)奏者を務める。 *1970年(昭和45年)、藤井凡大がNHKの委嘱を受けて作曲した「フルート、箏、十七絃のための三重奏曲」を演奏し(箏:沢井忠夫、十七絃:菊地悌子)、NHK-FMで放送される。 *1984年(昭和59年)、20年間在籍したNHK交響楽団を定年退職。 *2008年(平成20年)12月31日、病気のため逝去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木下芳丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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