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木之内 みどり(きのうち みどり、1957年6月10日 - )は、北海道小樽市出身の日本の元アイドル歌手、元女優である。1976年時点の公称サイズは、身長163cm、体重42kg、B78cm・W57cm・H84cm〔『週刊朝日』1976年5月21日号147頁。〕。 == 来歴・人物 == 北海道小樽市に生まれる。9人兄妹の末っ子。15歳中学3年生のときに、日本テレビの「ミス・ティーン・コンテスト」に応募するが準優勝、望みは叶わず〔『週刊朝日』1976年5月21日号。〕。 「家を建てたい」と16歳の8月、小樽から上京する、歌謡番組のマスコットガールで芸能界入りのきっかけを掴んだ〔『週刊朝日』1976年5月21日号。〕。 1974年5月10日、「めざめ」で歌手としてデビュー、キュートな顔立ちと愛らしい歌声で人気を集めた。本業の歌手としてはレコードの売り上げが伸びないのにもかかわらず、ブロマイドが飛ぶように売れる怪現象を起こした。1976年(昭和51年)ヘアートリートメントのCMに出演し、お茶の間にも知名度を上げたが、歌手としてはなかなか成功できず、映画『野球狂の詩』(1977年)、テレビドラマ『刑事犬カール』(1977年 - 1978年)などに出演〔週刊アサヒ芸能 2012年6月28日特大号 俺たちが愛した美少女選抜BEST30 第1弾・70年代編〕、女優として活躍した。またグラビアアイドルとしても人気が高く、篠山紀信撮影で知られる『GORO』(小学館)の表紙を6回も飾った。そのうち1978年には3回を占め、ラストは引退後の1978年10月12日号であった〔『GORO』(小学館)の1975年10月23号、1976年5月13日号、1977年5月26日号、1978年2月23日号、同年6月22日号、同年10月12日号のそれぞれ表紙を参照。〕。 1977年10月25日発売の『刑事犬カール』の主題歌「走れ風のように」や1978年2月25日発売の「横浜いれぶん」がようやくヒットしたが、1978年1月19日に放送開始した『ザ・ベストテン』にはランクインせず、『夜のヒットスタジオ』にも出演を果たせなかった〔「ザ・ベストテン登場歌手一覧」、「夜のヒットスタジオ出演歌手一覧」の各項の記述を参照。〕。 1978年9月、新曲「一匹狼 (ローン・ウルフ)」発表直後にベーシスト後藤次利との交際が発覚し、米国ロサンゼルスでレコーディング中の後藤のもとに、すべてのスケジュールをキャンセルして逃避行した。後藤は当時、元シモンズの玉井タエと婚姻関係にあった。同年9月11日、帰国ともに記者会見を開き、木之内は21歳で引退した。「子どものできるようなことはしていません」のセリフを残す。人気絶頂期の突然の引退に、芸能界のみならず一般でも一時期騒然となった。新曲は記者会見の10日後の発売であった。5年後の1983年、木之内は後藤と結婚したが、4年後の1987年に離婚した。 1990年、俳優の竹中直人と再婚した。竹中との間に2人(1女、1男)の子供がいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木之内みどり」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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