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木之本興三 : ウィキペディア日本語版
木之本興三[きのもと こうぞう]

木之本 興三(きのもと こうぞう、1949年1月8日 - )は千葉県出身の元サッカー選手
== 人物 ==
選手時代は古河電気工業サッカー部(現在のジェフユナイテッド市原・千葉)に在籍。引退後日本サッカーリーグ(JSL)事務局長、総務主事を務め、森健兒と共に、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)創生のほとんどを担った〔#回想p71-73〕。Jリーグ発足後は社団法人日本プロサッカーリーグ理事及びジェイリーグ映像株式会社、ジェーリーグフォト株式会社、株式会社ジェイリーグエンタープライズ社長を兼任した〔#両足309頁〕。
日本サッカー協会ではワールドカップ2002年大会に向けた強化推進本部副本部長を務め、本大会では日本代表団長となった。本大会を直前に控えてフィリップ・トルシエが選考した23人のメンバーを発表した。大会期間中、ホテルで意識を失ったり、バージャー病に冒されたことが判明した〔FLASH 2012年6月26日号 28頁 2002日韓W杯「あの人」「あの聖地」の今〕。
2003年、当時の川淵三郎日本サッカー協会会長、及び鈴木昌Jリーグチェアマンに解任される〔#両足309-31、3524頁〕。
現在は(株)エス・シー・エス代表取締役、フクダ電子アリーナ名誉会長、アブレイズ千葉SC 代表を務め多忙な日々を送っている。
2009年4月からは、サッカーからマネージメントと地域連携を考えることを目的として千葉大学と連携で教育課程普遍講座の講師を自身でも務めると共に、幅広い交友関係でサッカーに関わる様々な人物をゲストティーチャーとして招いて、それぞれの切り口からサッカーのマネージメント地域との関わりについて授業を展開している( 千葉大講義 )。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木之本興三」の詳細全文を読む



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