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木俣守長 : ウィキペディア日本語版
木俣守長[きまた もりなが]
木俣 守長(きまた もりなが、寛永21年(1644年) - 享保7年4月17日1722年5月31日)は、彦根藩筆頭家老、木俣家第4代当主。父は木俣守明。子に守盈守吉。通称は半弥、清左衛門。号は良閑。
寛永21年(1644年)、井伊家家老木俣守明の子として生まれる。延宝元年(1673年)に家老となる。天和元年(1681年)、父の隠居により家督相続し、知行8000石となる。元禄元年(1688年)に1000石の加増を受け知行9000石。元禄4年(1691年)、4代藩主井伊直興より家中由緒書の作成を命じられる。元禄14年(1701年)、直興が隠居して5代藩主井伊直通の家督相続の御礼言上の際に、江戸城で5代将軍徳川綱吉に拝謁する。元禄15年(1702年)、次男の守吉が井伊直治(直興)の娘と婚約。宝永7年(1710年)、長男の守盈に家督を譲り隠居、隠居料2000石を賜る。享保7年(1722年)4月17日死去。享年79。
享保元年(1716年)、直興より、幼くして父を亡くした直興に守長がむべの木(成長に応じて葉の数を、3、5、7と増やすことから七五三の木とも呼ばれ、縁起の良い木とされる)を贈って励ましたことを述懐する書状を送られている。
守吉は直興の娘と婚約し、新知1000石で分家するも、宝永6年(1709年)に早世。守吉の家督を継いだ守嘉(守長の実弟守閑の次男)が正徳4年(1714年)に直興の娘と結婚し、その長男守次は享保17年(1732年)従兄弟の越後与板藩藩主井伊直陽の養子となり第3代藩主井伊直員となる。
== 参考文献 ==

*東京大学史料編纂所「井伊年譜」
*東京大学史料編纂所「彦根藩家中貞享異譜」

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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