翻訳と辞書
Words near each other
・ 木内厚子
・ 木内四郎
・ 木内均
・ 木内堯央
・ 木内大神
・ 木内大神 (香取市)
・ 木内孝胤
・ 木内学
・ 木内宏昌
・ 木内宗五郎
木内宗吾
・ 木内宜彦
・ 木内峰太
・ 木内崇雅
・ 木内幸男
・ 木内惣五郎
・ 木内昇
・ 木内昭胤
・ 木内晶子
・ 木内曽益


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

木内宗吾 : ウィキペディア日本語版
佐倉惣五郎[さくら そうごろう]

佐倉 惣五郎(さくら そうごろう、? - 承応2年8月3日(1653年9月24日)?)は、江戸時代前期における下総国印旛郡公津村(現在の千葉県成田市台方)の名主。姓は木内氏、俗称は宗吾。惣吾〔とも記される。
代表的な義民として名高いが〔〔〔、史実として確認できることは少ない〔〔〔。領主堀田氏佐倉藩)の重税に苦しむ農民のため、将軍への直訴をおこなって処刑されたという物語は、江戸時代後期に形成され、実録本や講釈、歌舞伎上演などで人口に膾炙した〔。
== 確認できる生涯 ==
堀田氏時代の公津村名寄帳によって「惣五郎」という富裕な農民が実在していたことは確認できる〔。
1715年に成立した『総葉概録』(佐倉藩主稲葉正往の命により藩儒磯辺昌言が編纂)には、堀田氏時代に公津村の「総五」が何らかの罪によって処刑されたこと、「総五」が冤罪であると主張して城主を罵りながら死んだこと、堀田氏の改易(1660年)が「総五」の祟りとみなされたこと、このために「惣五宮」という祠が建てられたことが記されている〔。
しかし、惣五郎が一揆や直訴を行ったということを確認できる史料はない〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐倉惣五郎」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.