翻訳と辞書
Words near each other
・ 木曽福島ケーブルテレビ
・ 木曽福島中継局
・ 木曽福島区検察庁
・ 木曽福島城
・ 木曽福島町
・ 木曽福島簡易裁判所
・ 木曽福島郵便局
・ 木曽福島駅
・ 木曽節
・ 木曽義仲
木曽義元
・ 木曽義利
・ 木曽義在
・ 木曽義康
・ 木曽義昌
・ 木曽義高
・ 木曽興業
・ 木曽街道
・ 木曽街道いそぎ旅
・ 木曽西


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

木曽義元 : ウィキペディア日本語版
木曾義元[きそ よしもと]
木曾 義元(きそ よしもと、文明7年(1475年) - 永正元年(1504年))は、戦国時代武将戦国大名信濃国木曽谷を支配した木曾氏の当主。父は木曾家豊。弟に義勝。子に義在従五位下伊予
== 経歴 ==
木曾氏の出自は源義仲の子孫と称えた(当初は、秀郷流上野沼田氏であったとされ、義元の父の代までは「家」を通字としており、源氏風の名前である「義」を通字とするようになったのは義元の代からである。しかし、「」の字は、木曾氏の遠祖とされる八幡太郎義家偏諱を代々受け継いだとの見方もある)。
文明7年(1475年)、木曾家豊の子として誕生。初めに左京大夫義清と名乗り、のちに義元と名乗る。木曾氏当主として勢力拡大に努め、飛騨姉小路氏三木氏と抗争した。永正元年(1504年)、白巣峠を越えて進入した姉小路済継の家臣・三木重頼(または重綱か綱良とも、三木直頼の父)に王滝城で敗れ致命傷を負い、その傷が元で死去した。居城の木曽福島城に退却中の最中とも、帰城後のことともいわれる。享年30。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木曾義元」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.