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木本 哲(きもと さとし、1956年2月26日 - )は、日本の登山家、クライマー、山岳ガイド。 == 概要 == 1956年2月26日、大分県竹田市生まれ。 1976年、埼玉谷峰山岳会に入会。主に夏場に沢登りを中心に活動する。1979年、山学同志会に入会し、国内外のクライミングや高峰登山で活躍。1980年9月、日英岩登り交流会でイギリスを訪れ、イギリスのクライミング事情を知る。 1985年10月30日、植村直己物語撮影隊としてエベレスト登頂。下山中、自力下山が不能になったカメラマンを救出に向かい重度の凍傷を負い、全両足指を切断する。 1986年、キリマンジャロ南西壁登攀後、急性高山病になったツアー登山者に遭遇。小屋備え付けの緊急用酸素ボンベが空だったために荷物運搬用の一輪車に乗せて標高差2000mの山小屋まで搬送した。 1990年9月9日、トランゴネイムレスタワー(6,286m)に登頂した南裏健康は、頂上からパラグライダーで飛び立ったが、直後に風向きが変わり墜落。頂上から約90mの地点でパラグライダーが岩角に引っ掛かり宙吊りとなった。パキスタン陸軍がヘリコプターでの救出が向かい本人を確認したが、6,000mを超す高度かつ急峻な岩場のため、ヘリコプターでの救出は不可能と判断された。グレートトランゴタワーの登攀を終えていた木本哲、保科雅則の2人が、9月13日に地上から約2,000mの垂直の岩壁を登って救出に向かい、9月15日救出に成功、9月18日無事3人共下山、大救出劇となった。 1991年10月16日、未踏峰ナムチャバルワ(7,782m)登山中、隊員である木本哲、大西宏が雪崩に巻き込まれた。木本哲は自力生還を果たしたが、大西宏は死亡した。 1999年、2000年、ENSA(フランス国立スキー登山学校)にて学び、フランス高山ガイド同等資格取得。 多くの山岳番組にも携わっており、山岳カメラマンとしても活躍している。 日本山岳ガイド協会上級登攀ガイド、フランス国家資格認定アルパインガイド、木本クライミングスクール主宰、環境省自然公園指導員、NPO法人かながわ山岳ガイド協会所属、山岳同志会所属。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木本哲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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