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木村 伊量(きむら ただかず、1953年11月16日 - )は、フリージャーナリスト、朝日新聞社前代表取締役社長。 == 来歴 == 1953年、香川県高松市生まれ。1972年3月、香川県立高松高等学校卒業〔高松高校東京玉翠会 卒業生を応援するページ 〕。1976年3月、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後の4月、朝日新聞社に入社。岐阜支局赴任から始まり、1982年、東京本社政治部へ異動。政治部記者として、首相官邸、自民党、外務省などを担当。西ドイツ長期取材。1993年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員〔政治と金に関する新たなカルチャーをいかに構築するか 木村伊量氏 朝日新聞社編集局長補佐・政治部長 東京リーガルマインド 〕、1994年、ワシントン特派員としてホワイトハウス、国務省、大統領選挙を担当。 1997年に帰国後、政治部次長へ異動。1998年、社長秘書役〔政治と金に関する新たなカルチャーをいかに構築するか 木村伊量氏 朝日新聞社編集局長補佐・政治部長 東京リーガルマインド 〕、2000年に論説委員(政治・外交・安全保障担当)。2002年の人事で政治部部長に就任、2003年に編集局長補佐〔政治と金に関する新たなカルチャーをいかに構築するか 木村伊量氏 朝日新聞社編集局長補佐・政治部長 東京リーガルマインド 〕。ゼネラルマネジャー兼東京本社、2006年人事にて、ヨーロッパ総局長〔財団法人日本総合研究所 第6回 日総研フォーラムのご案内 〕。東京本社編集局長補佐、朝日新聞 GLOBE編集長、2010年6月付け人事で、西部本社代表(役員待遇)、2011年6月、取締役(広告・企画事業担当)、2012年6月26日、朝日新聞社代表取締役社長就任〔朝日新聞デジタル:朝日新聞社長に木村取締役 秋山社長は会長に - 2012年4月27日〕。その為、クロスオーナーシップである、公益財団法人朝日新聞文化財団理事長、株式会社テレビ朝日取締役等兼務 2013年度より朝日賞選考委員(委員長)を務めている。 2014年10月20日、2013年に大英博物館との協力関係を9年延長したことを評価され、駐日英国大使館においてティム・ヒッチンズ大使により外国人に与えられる名誉大英帝国勲章「Honorary Commander of the Most Excellent Order of the British Empire」(Honorary CBE。大英帝国司令官クラス)が伝達される〔朝日新聞社長 木村伊量氏に名誉大英勲章CBE GOV.UK - 2014年10月21日〕。 2014年11月14日、吉田調書や従軍慰安婦を巡る一連の捏造・誤報問題の責任をとる形で、持田周三常務取締役・杉浦信之取締役とともに辞任を表明した〔木村社長が引責辞任 後任に渡辺取締役 朝日新聞社 , 「改めて深くおわび申し上げます」 木村伊量社長 ; 福地献一取締役は執行役員に降格、喜園尚史執行役員は執行役員を辞任する。 - 朝日新聞デジタル(2014年11月14日)〕。 同年12月5日、臨時株主総会と臨時取締役会を開き、代表取締役社長の辞任決定〔朝日新社長が就任、渡辺氏「根底から改革」 - YOMIURI ONLINE(2014年12月6日)〕。社長を辞任する際に「特別顧問」に就任しようとしたが、社内の反発が強く辞退に追い込まれた〔朝日新聞社、新体制が発足 木村前社長は顧問就任辞退 朝日新聞 2014年12月5日 12時26分 〕〔週刊文春 2014年11月18日〕〔sankeibiz 2014年12月5日〕。 退社後は、2015年7月31日付けで、日本外国特派員協会に加盟し、フリーのジャーナリストとして活動している〔New Members in August FCCJ 2015年7月31日 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木村伊量」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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