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木村功 : ウィキペディア日本語版
木村功[きむら いさお]

木村 功(きむら いさお、1923年6月22日 - 1981年7月4日)は、昭和期の映画俳優新劇俳優。広島県広島市出身。戦後日本映画史を代表する名優の一人である。
== 来歴 ==
広島市千田町(現・中区千田町)生まれ。広島二中(現・広島県立広島観音高等学校)卒業後、上京し1941年文化学院文学部に入学。在学中より演劇運動に没頭し、様々な学生演劇に出演する。1943年、文化学院演劇部『華々しき一族』で邦枝梢と共演、見初める。入隊前に梢との結婚を申し込むが、この時は父で作家邦枝完二の許しは得られなかった。また、東宝撮影所でアルバイトをしていた友人を訪ねたとき、山本嘉次郎監督にスカウトされ、『ハワイ・マレー沖海戦』に出演した。1943年、文化学院閉鎖に伴い1年繰上げで卒業後、召集され1944年から1年間海軍生活を送る。1945年、終戦による復員で広島へ帰郷したが、8月6日の原爆により家族全員を失っている。
1946年、失意のうちに再び上京俳優座に入団。1948年4月1日、邦枝梢と結婚し、同年暮れより藤沢市鵠沼の梢の実家に同居。ロベルト・ロッセリーニ『戦火のかなた』など、戦後のイタリア映画が展開したネオ・リアリズムに傾倒した。1949年、痩せこけた俳優を探していた黒澤明監督の目に留まり『野良犬』に出演。三船敏郎演じる刑事に追われる惨めな復員兵の犯人役で、戦争の深い傷跡を表現し大きな注目を集めた。以後も『生きる』、『七人の侍』、『天国と地獄』など黒澤明中期作品の常連でもあった。
1950年、保守的に傾き始めた幹部たちと対立して俳優座を退団。各新劇団の若手であった岡田英次金子信雄高原駿雄らと「青年俳優クラブ(劇団青俳)」を結成〔はこだて人物誌 本田延三郎 〕。劇団青俳では翻訳劇・創作劇を意欲的に上演、また映画『億万長者』などの製作も行い、劇団の中心的存在として活躍する。一方、『人間魚雷回天』、『米』、『宮本武蔵』、『関の弥太っぺ』、『暗殺』、『雪国』など大作・話題作映画に出演。また戦後左翼運動の台頭などで活発化した独立プロ運動に共鳴し『山びこ学校』、『真空地帯』、『雲ながるる果てに』、『足摺岬』、『樹氷のよろめき』など独立プロ製作の作品にも多数出演し名声を確立した。年齢不詳の若さがあり、スマートでダンディ、またニヒルなかげりがあって女性ファンも多かった〔週刊新潮、1981年7月16日号125頁〕。
1954年10月、鵠沼を離れ、東京都渋谷区西原へ転居した。
1981年7月4日、食道癌のため死去。享年58。『七人の侍』の俳優陣では最年少者ではあったが、最初に亡くなった加東大介に続き同じがんで病没した。また近年売れっ子となった、個性派俳優梅津栄の師匠としても知られる。
「劇団青俳」は、個性的な俳優陣を多数輩出したが、二本柱だった岡田英次と木村の意見に次第にズレができた。岡田がやや前衛的思考だったのに対し、木村は正統派の新劇を守っていこうという立場だった〔高橋豊『蜷川幸雄伝説』河出書房新社、2001年、51-62頁〕〔。1968年「劇団青俳」は、劇団内部の戯曲選出の意見の対立から分裂し、岡田は清水邦夫、蟹江敬三蜷川幸雄らの「現代人劇場」に参加〔〔石橋蓮司氏(俳優) 早川さや香のプロフェッショナルの唯言(ゆいごん) 〕。1970年には社長だった本田延三郎も離れ、テレビ・映画で活躍する著名俳優が次々と移籍、独立し、看板俳優は木村と織本順吉だけとなった。また劇団社長が劇団以外で儲けようと音楽出版に出すなどの乱脈経営で1979年、多額の負債を抱え倒産した〔〔柏書房 -特別寄稿-『俳優の僕と映画監督の僕』 by 森達也 〕。木村自身も1億7千万円の借金を背負った。青俳結成当時のメンバーだった倉橋健は「木村君は滝沢修さんのように日本の演劇を変えたわけではない。しかし、従来の事大主義だったイデオロギーを超えて新劇の幅を広くした。その後、彼の演劇観は変わらなかった。それに対して若い蜷川幸雄などはついていけず脱退した。結果、取り残されたのが彼の悲劇といえます。彼は演劇より映画でいい仕事をした。巧い役者で、カンが良く、マジメで努力家だった。素材としては、非常に貴重な役者で、いい監督と脚本に恵まれると、特に力が出ましたね」と追悼した〔。
木村梢はエッセイストで回想記『功、大好き』(講談社、のち講談社文庫)がベストセラーとなった。また編著に『功、手紙ありがとう』(三笠書房)がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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