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木村広 : ウィキペディア日本語版
木村広[きむら ひろし]

木村 広(きむら ひろし、1953年8月17日 - )は、長崎県南高来郡加津佐町出身の元プロ野球選手。太平洋クラブライオンズ・クラウンライターライオンズ・西武ライオンズ日本ハムファイターズ横浜大洋ホエールズに所属した。ポジションは投手。1976年にプロ入りし、1985年限りで引退した。
==来歴・人物==
口加高校では1971年夏の全国高等学校軟式野球選手権の優勝投手に輝く。卒業後、日本大学へ進学し硬式に転向。東都大学リーグ通算3勝1敗。1976年にドラフト5位指名で太平洋クラブライオンズへ入団。入団後4年間は2軍で燻っていたが、1980年に初の1軍入りを果たした。
以降は徐々に登板機会を増やしたが、1983年オフ、江夏豊投手との交換トレードで柴田保光投手と共に日本ハムファイターズに移籍。しかし移籍先のファイターズでは10試合の登板に終わり、翌年暮れに戦力外通告を受けた。1985年横浜大洋ホエールズに在籍し、読売ジャイアンツ戦にてプロ入り初先発を果たし4回まで好投した。だが、ここでも出番は少なく(登板11試合)、この年限りで引退した。スリー・クォーターからシュートスライダーを武器とした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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