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木村恵二 : ウィキペディア日本語版
木村恵二[きむら けいじ]

木村 恵二(きむら けいじ、1965年8月30日 - )は大阪府守口市出身の元プロ野球選手投手)。
==来歴・人物==
近畿大学時代は、同学年の山内嘉弘(元オリックス)と小松領平(元プリンスホテル)が主戦投手であったため、控えに終わる。当時の近大・松田博明監督の評価は「下半身が全く使えず、カーブばかり投げる投手」という手厳しいものであった。
卒業後は日本生命に入社。ここで投球フォームの修正と徹底的な下半身強化に着手。その努力が実り、ドラフト候補に躍り出る。松田監督も日本生命時代の木村の投球を見て「大学時代とは別人のように速くなった」と驚いていた。1990年福岡ダイエーホークスからドラフト1位指名を受け入団。
1991年4月13日平和台球場での本拠地初登板では、西武ライオンズの主砲清原和博から4打席連続三振を奪う鮮烈なデビューを果たした。〔ただしその試合では、秋山幸二に決勝ホームランを被弾して敗戦投手になっている〕
1992年7月12日オリックス・ブルーウェーブ所属の鈴木一朗(後のイチロー)から彼にとってのプロ初安打を打たれる。
1994年、入団からしばらくは先発と中継ぎを担っていたが、94年に下柳剛と共に左右の中継ぎ投手としてチームを支えた。
1995年、怪我で離脱したボビー・シグペンに変わり抑えを務めた。
1996年、シーズン序盤安定したピッチングで連続セーブを記録したが序盤以降は連続で救援失敗に終わりその間に抑えの座をホセ・ヌーニェスに明け渡してしまう。
1997年、ホセが不調でシーズン序盤抑えを任され連続セーブを記録したがまたしても連続で救援失敗をしてしまい新人の岡本克道に抑えの座を奪われる。
1998年、シーズン終了直後にダイエーから戦力外通告を受け、「何としてもホークスを倒したい」として同一リーグの西武へ移籍。西武では移籍初年度の1999年に37試合に登板したものの、翌2000年は再び登板数が減少、同年再び戦力外通告を受けて現役を引退した。
制球力に優れスローカーブとチェンジアップを武器として主にリリーフで活躍したが、先発で起用されていた時は「能力は凄いが、実力通りのピッチングができるのは年に2、3回」などとファンに揶揄されたり、抑えに転向後抜群の安定したピッチングで連続セーブを記録したと思いきや、連続してセーブ失敗など好不調の波が激しい投手であった。初期の弱小だったホークスの屋台骨を支えた選手の一人であった。
その後福岡市中央区で飲食店を経営したが、後に閉店。現在は九州総合スポーツカレッジとNPO法人ホークスジュニアアカデミーでコーチを務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木村恵二」の詳細全文を読む



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