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木村 敦志(きむら あつし、1984年5月1日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。 == 来歴 == 小学4年生の頃に地元茨木市の太田JFCでサッカーを始める。当時から長身だったため最初からポジションはGKだった。中学時代からガンバ大阪の下部組織でプレーし、2003年にトップチームに昇格〔。若い頃から各年代の日本代表にも選出され、2001年にはU-17日本代表としてU-17世界選手権、2005年にはU-21日本代表として第33回トゥーロン国際大会に出場した。 G大阪では松代直樹や藤ヶ谷陽介といった先輩GKたちの後塵を拝し、長らく出場機会を得られなかったが、入団7年目の2009年12月29日、天皇杯準決勝・ベガルタ仙台戦で公式戦初出場を果たした〔。このときは第1GKの藤ヶ谷がインフルエンザ、第2GKの松代が怪我を抱えていたことから木村に出番が訪れ、チームは2-1で勝利した。 2010年はAFCチャンピオンズリーグのグループリーグ2試合(第2節・河南建業、第4節・シンガポール・アームド・フォーシズ)に出場した。2010年と2011年は藤ヶ谷に次ぐ第2GKとしてリーグ戦全試合にベンチ入りした〔『2010Jリーグ総集編』 日本スポーツ企画出版社、2010年、16-19頁。〕〔『2011Jリーグ総集編』 日本スポーツ企画出版社、2011年、16-19頁。〕。 2012年は5月2日のAFCチャンピオンズリーグ・浦項スティーラース戦から先発に定着〔、5月6日のJ1第10節・大宮アルディージャ戦でプロ10年目にしてJリーグ初出場を果たした 〔。その後もミスが目立った藤ヶ谷に代わってゴールを守り続けていたが〔『2012Jリーグ総集編』 日本スポーツ企画出版社、2012年、72-75頁。〕、6月25日の練習中に右腓骨遠位端骨折により戦線離脱〔。10月後半までにはチームに合流し、12月には武田洋平の控えとして天皇杯でベンチ入り〔『Jリーグ公式記録集2013―J.LEAGUE YEARBOOK 2013』 朝日新聞出版、2013年、ISBN 978-4021902307、148-149頁。〕。 クラブがJ2に降格した2013年は出番がなく〔『2013Jリーグ総集編』 日本スポーツ企画出版社、2013年、156-157頁。〕、クラブがJ1に復帰した2014年は新加入の東口順昭、河田晃兵に次ぐ第3GKという位置づけで、リーグ戦のベンチ入りは3試合にとどまった〔『2014Jリーグ総集編』 日本スポーツ企画出版社、2014年、10-11頁。〕。2015年1月、現役引退が発表された。 現役引退後は、現役時代の先輩ディフェンダー・新井場徹からの依頼を受けて、新井場が代表を務めるFCティアモ枚方のサッカースクールでGKコーチを務めている〔。引退直後の2015年夏には、正GKのキム・ジンヒョンの負傷でGK陣が手薄になったセレッソ大阪から現役復帰のオファーが届いたことや、オファーを固辞したことが報じられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木村敦志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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