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木村毅一 : ウィキペディア日本語版
木村毅一[きむら きいち]

木村 毅一(きむら きいち、Kiichi Kimura、1904年4月7日 - 1992年7月8日)は、日本の実験原子核物理学者台北帝国大学(現・国立台湾大学)の荒勝文策教授のもとでアジアで最初の加速器(コッククロフト・ウォルトン型)の建設を行った(1934年完成)。敗戦直後の1945年11月に進駐軍によって廃棄された京都大学サイクロトロンをのちに再建し(1954年)、大阪府立放射線中央研究所1959年発足)、京都大学原子炉実験所1963年発足)の建設を行うなど、日本原子核放射線研究の場を創ることに貢献した。京都大学教授、京都大学原子炉実験所長、大阪府立放射線中央研究所長、福井工業高等専門学校長を歴任。京都大学名誉教授勲二等旭日重光章受章。理学博士。〔以上、『アトムのひとりごと』(著書 2)。〕
== 年譜 ==

* 1904年 - 京都府に生まれる。
* 1926年 - 第三高等学校卒業。
* 1929年 - 京都帝国大学理学部物理学科卒業。
* 1930年 - 台北帝国大学(現・国立台湾大学)助手。
* 1936年 - 京都帝国大学理学部講師。
* 1939年 - 京都帝国大学助教授(理学部勤務)。
* 1940年 - 理学博士
* 1941年 - 補京都帝国大学化学研究所員。
* 1945年 - 京都帝国大学教授(補化学研究所員)。
* 1959年 - 大阪府立放射線中央研究所長(非常勤)。
* 1963年 - 京都大学原子炉実験所長。〔以上、『木村毅一先生還暦記念 略歴・論文リスト』(非刊行物、1964年)。〕
* 1968年 - 京都大学退官、京都大学名誉教授
* 1992年 - 死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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