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木村清之助 : ウィキペディア日本語版
木村清之助[きむら せいのすけ]
8代木村 清之助(きむら せいのすけ、本名 : 魚田輿三蔵 、明治8年 -昭和17年5月)は、大相撲行司の名跡である。東京での所属部屋は立浪部屋。
== 解説 ==
元々は木村玉之助とともに大坂相撲立行司であった。
明治8年生まれ。明治20年大阪で初土俵をふみ、第3席(当時の大阪相撲では立行司という呼称は存在しなかった。)まで出世するも、大相撲の東西合併により大日本相撲協会が発足したことによる番付統合のため開催された合併場所で、当時の清之助は立行司免許を持ちながらも吉田司家免許を持つ資格者からただ1人除外されて三役格として出場、1926年昭和元年)末に正式に合併した際にそのまま三役格行司に降格して加入、その後玉之助を襲名し立行司へと戻る機会もあったが高齢を理由に後輩の行司に譲り三役格のまま16年土俵を勤め、1942年(昭和17年)5月場所後に現役のまま数え68歳で死去した。それ以降、清之助の名跡は70年以上に亘り襲名されていない。
東西合併の際の扱いから東京での式守伊之助に相当する地位であったと思われる。
房と菊閉じの色は大坂立行司時代は紫白、東京加入による三役格への降格後は朱であった。
また、土俵上の掛け声が非常に独特で、「よい、はっけよい!わーた、わーたった、わたわた、わたわたわたわた(動いているのに)よい、はっけよい!」と聞こえた。所作なども極めて独特であり、大阪相撲での行司の特徴をよく表している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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