翻訳と辞書
Words near each other
・ 木村茂 (政治家)
・ 木村茂 (野球)
・ 木村茂 (陸軍軍人)
・ 木村茂之
・ 木村茂光
・ 木村茂吉
・ 木村茜
・ 木村茜 (1988年生)
・ 木村茜 (1996年生)
・ 木村草太
木村草弥
・ 木村荘之助
・ 木村荘八
・ 木村荘十
・ 木村荘十二
・ 木村荘太
・ 木村荘平
・ 木村莊之助
・ 木村萬平
・ 木村葵


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

木村草弥 : ウィキペディア日本語版
木村草弥[きむら くさや]

木村 草弥(きむら くさや 1930年2月7日-)は、日本歌人詩人。 本名は夫(しげお)。
== 経歴 ==
京都府綴喜郡青谷村(現在の城陽市)の宇治茶問屋・丸京山城園製茶場の経営者であった木村重太郎とトヨの三男として出生。姉兄妹六人きょうだいの四番目である。太宰治が『パンドラの匣』の元とした日誌の書き手である木村庄助は長兄〔浅田高明 『探求 太宰治』 1996年 ISBN 4892592668〕であり、大阪大学教授、国立国際美術館館長、兵庫県立美術館館長などを歴任した美術史家の木村重信は次兄。

青谷小学校京都府立桃山中学校(旧制)を卒業後、1948年に大阪外事専門学校(後の大阪外国語大学、現在の大阪大学外国語学部)フランス語科入学。同級生に言語学・国語学者の玉村文郎田辺保らがいた。
1949年7月、学制改革により新制の京都大学文学部に入学、仏語仏文学を専攻。同級生に小松左京高橋和巳宗政五十緒脇田修村井康彦小野信爾中川久定山田稔らがいた。文芸など遊学に没頭し同校に7年間在籍するが、結核を発病し1年間入院。その後、回復。
1956年、在籍期間満了のため同校を中途退学。家業の宇治茶問屋の経営を継ぐ〔『茶の四季』 角川書店 1995年 ISBN 4048714856〕。2002年3月以後、リタイア生活に入る〔『嬬恋』 角川書店 2003年 ISBN 4046517026〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木村草弥」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.