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木田川奎彦 : ウィキペディア日本語版
木田川奎彦[きたがわ けいひこ]
木田川 奎彦(きたがわ けいひこ〔、1873年明治6年)1月19日〔『日本の歴代市長』第1巻、60頁。〕 - 没年不詳)は、日本の会計検査院内務官僚。官選奈良県知事小樽市長。旧姓:桑名。
==経歴==
福井県坂井郡〔「木田川奎彦北海道小樽市長ニ就任ノ件」〕で桑名金五郎の三男として生まれ、木田川梅吉の養子となる〔『新編日本の歴代知事』717頁。〕〔。
福井中学校を卒業。1900年11月、文官高等試験行政科試験に合格〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』180頁。〕。同年12月、農商務省に入省し農商務属となり鉱山局に配属された〔。
1901年1月、会計検査院に転じ検査官補に発令され第一部第二課勤務となる。以後、同院書記官兼検査官補などを務めた。1909年8月、内務省に転じ内務大臣秘書官兼内務省参事官に就任。以後、内務事務官神奈川県港務部長、同内務部長などを歴任〔〔。
1915年7月1日、奈良県知事に就任。米騒動への対策の実施、第一次世界大戦戦後恐慌対策のため緊縮財政などを推進した〔。1922年10月16日、知事を休職〔『官報』第3065号、大正11年10月18日。〕。1923年3月3日、依願免本官となり退官した〔『官報』第3176号、大正12年3月5日。〕。同年4月から1924年4月まで内務省・朝鮮総督府嘱託を兼ねて欧米各国視察を行う〔。
1925年9月19日、小樽市長に就任。公正な市政を行い広く支持を受け市長を二期務めた。港湾施設・道路の整備、陸軍運輸部の誘致、産業振興補助金の制定、失業対策の実施などを推進。市会の賛成派が減少し事業遂行が滞るようになり、任期前の1932年11月11日に市長を辞任した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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