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木部シゲノ : ウィキペディア日本語版
木部シゲノ[きべ しげの]
木部 シゲノ(きべ シゲノ、1903年(明治36年)11月12日 - 1980年(昭和55年)7月29日)は、日本女性パイロットの草分けのひとりである。
== 経歴・人物 ==
福岡県築上郡八屋町(現・豊前市)出身。3歳のときに一家で朝鮮平安南道鎮南浦(現・朝鮮民主主義人民共和国南浦特別市)に移住した。
1923年(大正12年)に上京し、神奈川県橘樹郡潮田町(現・横浜市鶴見区)に開校した〔のちに千葉県船橋市に移転。〕第一航空学校に入学する。同校在学中に運送会社に勤め、自動車運転免許を取得し、この頃から断髪して生涯男装を続けた。
1924年(大正13年)に第一航空学校を卒業し、翌1925年(大正14年)に三等飛行機操縦士免状を取得する。各地で飛行演技や講演会を行い、「男装の麗人」として人気を集め、ブロマイドが発行された。
1927年(昭和2年)8月に女性として初の二等飛行機操縦士免状を取得したのち、民間人が軍で操縦教育を受けられる国の養成制度を利用して曲技飛行の資格を取得しようと考え、霞ヶ浦海軍航空隊の司令に面会。異例の10日間仮入隊という形で訓練を受け、曲技飛行の資格を取得した。
同年11月には鎮南浦・平壌京城の朝鮮3都市でデモ飛行を開催し、翌1928年8月から9月には出生地の八屋町をはじめ、福岡市小倉市など福岡県内各地でデモ飛行を開催した。その後は第一航空学校の助教官として指導にあたる。
1933年(昭和8年)に操縦士を引退し、鎮南浦に戻りタクシー会社を経営するが、日中戦争によりガソリンの入手が困難になったため会社を売却し、1938年(昭和13年)に北京に移住した。北京では青少年にグライダーによる航空教育を行い、太平洋戦争開戦後は軍事関係の補助員として活動した。
戦後は日本婦人航空協会(現・日本女性航空協会)の設立に携わり、羽田空港内の協会事務所責任者として羽田空港での説明・案内を務めた。
晩年は出生地の豊前市に移り住んだ。1980年死去。
NHK連続テレビ小説雲のじゅうたん』のモデルのひとりといわれる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木部シゲノ」の詳細全文を読む



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