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木馬亭(もくばてい)は、東京市台東区浅草2丁目7番5号に存在する浪曲の寄席である。 == 概要 == 関東では無くなって久しかった浪曲の常打ち小屋として、昭和45年(1970年)から40年以上唯一支え続ける存在である。 特に若手育成の点で大きな役割を果たし続けている。講談も1日一枚、必ず番組編成に入れ続け、上野・本牧亭が2011年(平成23年)に無くなった現在で、講談においても、若手中心にいよいよ貴重な出番を提供する場所でもある。 席亭は根岸京子。(当初は四代目である夫・根岸浜吉(若旦那)。吉之助は大旦那)。席数は131席〔消防法上の表示を確認。横7+5、奥行11列。最前方右手1席は切欠きになっている。〕。 明治期にメリーゴーランドを設置し客を集めた「木馬館」からの歴史を踏襲しており、入口付近にそのモニュメントが飾られている。安来節の常打ち小屋として長らく続いた。空き小屋であった1階部分を、浪曲師東家楽浦・三門博の要請により、1970年(昭和45年)5月上席から「木馬浪曲会」としてスタートする。のちに「木馬亭」の呼び名を使用するようになる。(それ以前の歴史については木馬館の項を参照のこと) 公演を聴いていると、しばしばドタンバタンと音が聞こえてくるが、2階の「木馬館大衆劇場」で立ち回りの音が漏れてきているのである。名物は欠かさず入口で迎えてくれるお席亭・根岸京子の笑顔である。「アイスもなか」(バニラ・あずきの二種)は中入りに客席後方で販売される。 現在、「お笑い浅草21世紀」という浅草軽演劇の流れを汲んだ劇団も毎月〔8日以降の日曜から翌日曜まで〕8日間公演をしている。 また、浅草奥山という土地柄を生かし、小劇団の旗揚げ公演や、となりの奥山茶屋(現・5656茶屋)で物売り芸を見せていた坂野比呂志を席主・浜吉が引っ張り出して公演した大道芸の会「坂野比呂志の総て」〔昭和57年度文化庁芸術祭大賞受賞 (pdf)〕〔室町京之介『香具師口上集』に収録〕、よしず張りのヒラキのようにした大道芸のイベント興行、活動弁士を招いての「特選名作無声映画会」〔朝日新聞 1974年(昭和49年)3月19日付 「昔懐かし 活動写真を再現 オールドファン続々 浅草・木馬館」〕、大阪から松浦四郎若を共演ゲストに招いての「貝祭文を聞く会」なども開かれた。ももいろクローバーZファン(いわゆるモノノフ)の聖地の一つでもある〔桃黒亭一門名義のシングル「ニッポン笑顔百景」の西武ドーム用のビデオは木馬亭で撮られた。咄家・林家しん平のツイート 。後ろの扁額に右から「龍飛鳳舞」とあることで確認できる〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木馬亭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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