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本因坊道策 : ウィキペディア日本語版
本因坊道策[ほんいんぼう どうさく]

本因坊 道策(ほんいんぼう どうさく、正保2年(1645年) - 元禄15年3月26日1702年4月22日))は江戸時代囲碁棋士。四世本因坊名人碁所本因坊算悦本因坊道悦門下、生国は石見国、本姓は山崎、幼名は三次郎。法名は日忠。道策は圧倒的強さを誇り、当時の一流棋士達をことごとく先以下に打ち込み、実力十三段と称揚された。
道策は手割の考え方など多くの革新的な手法を生み出した。また、従来の力戦ではなく、全局の調和を重視した合理的な打ち方を用いたことなどから、近代囲碁の祖と呼ばれる。丈和秀策の後聖に対して、前聖と称される。史上最強の棋士として、道策の名を挙げる人も多い。
名人を九段、名人上手間を八段、上手を七段とし、以下二段差を1子とする段位制を確立した。この段位制は1924年日本棋院が設立されるまで使われていた。
==生涯==

===生い立ち===
道策の出た山崎家は、毛利元就配下の松浦但馬守を祖とし、後に石見国大田村の山崎(現・島根県大田市大田町山崎)に居したことから山崎公と呼ばれるようになり山崎姓とした。その長子善右衛門は石見国大久保氏に仕える。道策は善右衛門の子である父山崎七右衛門、母ハマの二男として、石見国馬路(現・島根県大田市仁摩町馬路)に生まれる。7歳の頃から母に囲碁を習い、14歳で江戸へ下り算悦門に入る。
1667年(寛文7年)に御城碁初出仕し、同じく初出仕で1歳年長の安井知哲に白番5目勝。1668年からの安井算知と道悦の二十番争碁においては、師道悦への意見を述べることもあり、また道悦とは互先で11局の対局が残っており、道策は先番で5勝、白番で2勝3敗1ジゴとしている。
父・山崎七右衛門と母・ハマとの間には三男三女がいたが、三男で道策の実弟にあたる道砂は同じく算悦門下の囲碁棋士であり、後に井上家を継いで3世井上因碩となった。母は細川綱利の乳母も勤め、その縁で道策の兄七右衛門の子五郎太夫は細川家に仕え、従弟の半十郎は道悦が退隠して京都に在した際にその付添人となった。また山崎家からは、後には10世井上因砂因碩が出た。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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