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本圀寺の変[ほんこくじのへん]
本圀寺の変(ほんこくじのへん)は、永禄12年1月5日(1569年1月31日)に三好三人衆らが京都本圀寺〔当時の呼称は本「國」寺〕に仮御所を置いていた室町幕府15代将軍足利義昭を襲撃したことによって生じた戦闘である。六条合戦とも呼ばれる〔「信長公記」などは六条合戦を用いている。〕。 == 発生経緯 == 永禄の変で13代将軍・足利義輝を討った三好三人衆ではあったが、松永久秀との主導権争いに没頭するあまり、永禄11年(1568年)には義輝の弟・義昭を奉じる織田信長の上洛軍を阻めず京都から退却、同年9月28日には信長と義昭の入京を許した。そして10月18日には信長によって、三人衆が推戴する14代将軍・足利義栄(義昭の従弟)を廃され、将軍の座を義昭に奪われた。 しかし、奉公衆と共に仮御所としていた義昭の本國寺の警護を、明智光秀を中心とする近江、若狭の国衆に託しただけで、信長は10月26日に本国である美濃へ帰国してしまう。 そんな手薄となった畿内の織田勢の隙をついて、義昭を討たんとする三好三人衆に、信長に敗れて流浪していた斎藤龍興らも加勢して本國寺を襲撃したことから、本戦闘が始まった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本圀寺の変」の詳細全文を読む
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