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本願寺四日市別院(ほんがんじよっかいちべついん)は、大分県宇佐市大字四日市にある浄土真宗本願寺派の寺院である。真宗大谷派の真宗大谷派四日市別院(東別院)と隣接し、西別院とも呼ばれる。このように両派の寺院が隣接する景観は他の地域では見られないとされる〔沿革 - 浄土真宗本願寺派[西]本願寺四日市別院 〕。江戸時代には九州御坊と呼ばれ、九州の同派寺院を総監する大寺院として栄えた。 西別院は本堂は幅約30m、奥行約26mの九州最大級の木造建築で2015年に国の有形文化財に指定。 == 沿革 == === 起源と東別院の成立 === 四日市別院の起源は16世紀後半に創建された草庵に遡る。これが後に真勝寺となり、現在でいう真宗大谷派(東本願寺)に改派した。 元文2年(1737年)に、真勝寺の末寺や門徒達の間で真勝寺騒動と呼ばれる派閥争いが起き、末寺や門徒の多くは現在でいう浄土真宗本願寺派(西本願寺)に改派し、真勝寺は本願寺派の所有するところとなった。しかし、寛保3年(1743年)に寺社奉行であった 大岡忠相の裁可によって、真勝寺は公儀没収の上、東本願寺に下附されることとなり、真勝寺は延享元年(1744年)に真宗大谷派の九州で最初の本山掛所である「本願寺掛所豊前四日市御坊真勝寺」となった。同年には、御坊格式の議も許可されている。 この本堂は幕末に焼失し、文政8年(1825年)に再建されたが、慶応4年(1868年)1月14日の御許山騒動で再び焼失。現存する本堂は明治13年(1880年)に再建されたものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本願寺四日市別院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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