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朱全忠[しゅ ぜんちゅう]
朱 全忠(しゅ ぜんちゅう)は、五代後梁の初代皇帝。廟号は太祖。 諱は初め温であったが黄巣の乱の際の功で唐朝より全忠の名が下賜され、さらに皇帝即位後に晃と改めた。 == 生涯 ==
=== 幼少期・青年期 === 大中6年(852年)に宋州碭山県の牛溝里に田舎儒学者であったとも伝えられる朱誠(朱五経と称された)の三男の朱温として生まれる〔駒田『新十八史略5』、P243〕。家は貧しく、少年時代に父を失ったため、2人の兄と共に母の王氏に連れられ親戚に当たる蕭県の富豪の劉崇の家で小作、いわゆる畑仕事や家畜の世話をやっていた〔。だが農耕を嫌った朱温は学問と武芸に励んだ。畑仕事などは平凡で退屈な仕事と頭から馬鹿にして少しも精を出さず、長じて気性も荒くなったため〔、里人の多くは彼を嫌い、度々主人の劉崇から杖や鞭で咎めを受けていた〔駒田『新十八史略5』、P244〕。朱温は特に武術に興味を示し、独学で棒術や拳法を覚えて腕をあげていき、たちまち暴れん坊になったため「ごろつき朱三」(朱家の三男の意)と呼ばれたという〔。劉崇はそんな朱温を嫌ったが、劉崇の母だけは「朱三は只者ではない。お前たちよ、あの子によくしておやりよ」と言って高く評価し、常に朱温をかばったという〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朱全忠」の詳細全文を読む
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