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朱友貞[しゅ ゆうてい]
朱 友貞(しゅ ゆうてい)は、五代後梁の第3代(最後)の皇帝。廟号や諡号は贈られていないため、後世の史家によって末帝と呼ばれている。 == 生涯 ==
=== 出生 === 太祖朱晃の第4子であり、彬王朱友裕と第2代皇帝朱友珪の異母弟である。 父が唐から禅譲を受けた後に均王として封じられた。開平4年(910年)には東京馬歩軍都指揮使に任命されている。 乾化2年(912年)、郢王であった朱友珪が太祖を殺害し帝位を継ぐと、周囲の歓心を買うための政策が行なわれ、朱友貞は東京(現在の開封)留守、開封府尹に任じられた。しかし朱友珪は荒淫な生活を好み、治世は乱れたことで周囲の不満が爆発、鳳歴元年(913年)に袁象先ら禁軍数千が反乱を起こし朱友珪は殺害され、朱友貞が皇帝として擁立された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朱友貞」の詳細全文を読む
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