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朱 常溆(しゅ じょうじょ、1585年1月29日生没)は、明の万暦帝(朱翊鈞)の第2皇子(死産)。 貴妃鄭氏(後に皇貴妃となり、南明において孝寧太后を追贈された)の長男として生まれた。鄭貴妃は万暦帝が最初に寵愛した妃嬪で、第1子として朱軒姝(雲和公主)を産んだ。第2子を妊娠中に、万暦帝が追いかけっこの悪戯をしたのが原因して、万暦12年12月29日(1585年1月29日)にこの子は死産となった。鄭氏は憤慨し、万暦帝はこれを悔いた。そうしたことから万暦帝は、鄭氏が次に産んだ男子の朱常洵を皇太子にしようとも考えた。 死産の子は常溆と名付けられ、邠王の位号を追贈、哀と諡されて、金山に葬られた。 == 参考文献 == * 『明神宗実録』 * 『酌中志』 * 『先太常公伝略』 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朱常ジョ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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