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朱棡[しゅこう]
朱棡(しゅこう、1358年 - 1398年)は、明の皇族。 明の太祖である洪武帝の3男。母は馬皇后。同母兄に皇太子の朱標と朱樉。同母弟に朱棣や朱橚など。他異母弟多数。正妃は謝成の娘。子に朱済熺、朱済熿。 == 概要 == 幼いより聡明で、宋濂や杜環らの師事を受けた。1370年に父より晋王に封じられ、1378年に太原に赴任した。長い髭を蓄えて威厳があった智勇兼備の名士だったが、性格は傲慢で問題があったという。その傲慢さを示す逸話は数多くあり、封国の太原に赴く際には20年以上にわたって仕えた料理人に対して鞭で叩きまくるなどの拷問を行なったり、父の命令や法を平気で無視したりしたと伝わっている。このため洪武帝に対して朱棡の謀反を讒言する者も多くおり、それを信じた洪武帝は1389年に朱棡を南京に召還して処罰しようとした。しかし長兄の朱標が懸命に弁護したため許され、以後は行動を改めて温厚な人物になったという。 1390年からはすぐ下の同母弟である朱棣と共に北元などのモンゴル戦争に関する軍権を任され、朱棣に劣らぬ目覚しい活躍を見せたという。1398年に死去。享年41。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朱棡」の詳細全文を読む
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