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朱皓[しゅ こう]
朱 皓(しゅ こう、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。字は文明、または文淵。父は朱儁。兄は朱符〔梁代の『弘明集』の中の『理惑論』による。〕。 彼についての記録はあまり残されていないが、『三国志』蜀志諸葛亮伝や、『献帝春秋』にその名がみえる。それによれば、『蜀志』諸葛亮伝と『献帝春秋』では内容が大きく異なる。 == 正史三国志の記述 == この時代に置いては、どこかの太守が空席になると、自分の息のかかった者を派遣して版図を広げるのが当たり前であった。袁術が諸葛玄を新任の豫章太守として派遣したが、朝廷は太守に朱皓を派遣し諸葛玄と交代させようとした。諸葛玄が劉表を頼って荊州に逃れたため、朱皓は無事に太守の地位に就いた。しかし最後は笮融に殺されてしまった。 その後、交州刺史であった兄は、劉彦を派遣して笮融を弟の仇討ちとして殺そうとしたが、荊州内部が劉彦を疑って通してくれなかった。そのため今度は牟氏を説得して派遣しようとしたが、その頃ちょうど牟氏の母が死んだので、実現しなかったという〔『三国志』呉志士燮伝・薛綜伝に載せられている。〕。
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