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朱鳳英 : ウィキペディア日本語版
朱鳳英
朱 鳳英(しゅ ほうえい、1110年 - ?)は、北宋欽宗の皇后仁懐皇后朱氏の妹で、欽宗の側妃朱慎徳妃の従妹。欽宗の弟である鄆王趙楷の妃となった。哲宗の生母欽成皇后神宗の徳妃朱氏)の姪にあたる〔『曾公遺録』によると、恩平郡王の朱伯材(仁懐皇后と鳳英の父)は、欽成皇后の異父兄弟。〕。
== 経歴 ==
靖康の変の際、軍に捕らえられ、千戸の国禄らの手にかかり凌辱された。金が北帰を開始する1127年3月28日に、完顔設野馬の管理下に移されている。その直後の3月29日、馬から落ちて流産した〔同時に、柔福帝姫趙富金高宗の妃である邢秉懿らも流産している。『靖康稗史箋證』巻五。「二十九日、邢朱二妃、二帝姫以墜馬損胎、不能騎行。」〕。
同年4月2日、北帰の途上の車でふたたび千戸国禄に犯された。道中の宴会において詩を詠むことを強要され、従姉の朱慎徳妃とともに屈辱的な境遇を嘆く詩を詠んだ。
金軍が燕京に戻ると、朱鳳英は一時的に金の太宗の妾とされた後、妓院である洗衣院へ送られた。1135年、朱鳳英は洗衣院から解放されたが、その後の事跡は不明である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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