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李弘(り こう、651年か652年? - 675年)は、中国・唐の皇太子。父は3代皇帝高宗、母は武照(武則天)。はじめ代王。義宗の廟号と孝敬皇帝の諡号を贈られた。同母弟に李賢(章懐太子)、4代皇帝中宗、5代皇帝睿宗らがいる。 == 生涯 == 高宗と武照との長男として生まれる。李弘の生年に関しては諸説あるが、同母実弟の李賢が654年に既に生まれていたことを考えると、高宗が即位して間もない頃に誕生したと考えられる。 すでに、異母兄で劉夫人が生んだ皇太子・李忠がいたが、武一族の台頭によって廃され、更には皇后となった母・武后の強硬な画策によって弘が立太子することとなる。高宗も、子の中では最も目をかけていたほどであり、文武に優れ穏和な性格であったとされたこともあり、人望も厚く期待された。 程なく高宗の禅譲によって即位することが決定していたが、周囲の期待が重荷となったのか、にわかに精神を病んだことなどがきっかけで素行が乱れ、母と不和となるなどし、675年に急死する。異説では、代わって賢を皇太子に立てるため武后によって殺された、ともされる。 死を悼んだ高宗より、義宗の廟号と孝敬皇帝の諡号を贈られる。子がないために弟の睿宗の三男の李隆基(後の玄宗)を養子としていた。 ちなみに李弘の死の前年より、高宗は天皇の号を用いている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李弘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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