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李 恂(り じゅん)は、五胡十六国時代の西涼の第3代(最後)の君主。公としては正式に即位しておらず、涼州刺史を称した。 == 生涯 == 太祖武昭王李暠の四男として生まれる。嘉興4年(420年)に兄の後主李歆が北涼を攻めて大敗し、太祖武宣王(沮渠蒙遜)に捕らえられて処刑され、都の酒泉が陥落すると、李恂は一族と共に北山へ逃亡した。後に李氏とゆかりの深かった敦煌に逃れた。このとき、北涼の追跡を受けたが、その軍を破って冠軍将軍・涼州刺史となって敦煌を支配し、兄の後を継ぐ形となった。 しかし永建2年(421年)3月に沮渠蒙遜の送り出した北涼軍の攻撃を受ける。李恂は敦煌に立て籠もって戦ったが、敗れて自殺した。これにより西涼は完全に滅亡した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李恂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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