翻訳と辞書 |
村上忠勝[むらかみ ただかつ]
村上 忠勝(むらかみ ただかつ)は、江戸時代前期の大名。越後国村上藩主。 戸田氏繁(戸田勝成か)の末子とも言われるが、おそらくは戸田内記の長男である。母は村上頼勝の娘(妹とも)。外祖父・頼勝の養嗣子となる。元和2年(1616年)、家督を継ぐ。元和4年(1618年)、家臣の魚住角兵衛が暗殺されると、その黒幕が家老高野権兵衛ではとの風評が立ち、論争となる。幕府に報告して3月6日に裁決されたが騒動が収まらず、4月9日に家中の論争が多いとの理由で改易された。大阪の陣に前後して、幕府寄りだった河野派と豊臣氏に味方すべきと主張する家老・冨田次郎左衛門派の抗争があったとする見解もある〔大場喜代司、別冊歴史読本『御家断絶 改易大名の末路』〕。捨扶持300石を与えられて丹波国篠山に流罪とされ、松平康重に預けられた。林八郎右衛門ら家臣二十数名が同地に従った。元和9年(1623年)に死去した。享年は25とも28ともいう。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村上忠勝」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|