翻訳と辞書
Words near each other
・ 村上由利子
・ 村上由香
・ 村上町
・ 村上益子
・ 村上直
・ 村上直 (歴史学者)
・ 村上直次郎
・ 村上県
・ 村上眞一
・ 村上真一
村上真二
・ 村上真吾
・ 村上真哉
・ 村上真理子
・ 村上真由子
・ 村上真由美
・ 村上真紀
・ 村上真裕
・ 村上真魚
・ 村上睦子


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

村上真二 : ウィキペディア日本語版
正岡真二[まさおか しんじ]

正岡 真二(まさおか しんじ、1949年8月15日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手内野手)。までは村上(むらかみ)姓であった。
まで中日ドラゴンズスカウトを務めていた〔週刊ベースボール2014年3月24日号 P21〕。
== 来歴・人物 ==
今治南高校では遊撃手、一番打者として夏の甲子園予選北四国大会決勝に進出。玉井信博投手を主戦とする松山商を降し甲子園に出場。準々決勝に進むが、野上俊夫投手を擁する市和歌山商に延長10回の熱戦の末3-4xで敗れた。
高校球界ナンバーワンの遊撃手と評価され、1967年のドラフト4位で中日ドラゴンズに入団。打撃に極端に難があり、二軍暮らしが長かった。プロ入り6年目のに一軍に定着、華麗な守備〔1974年から1982年までの『燃えよドラゴンズ!』で、5回中3回「華麗な守備の正岡」と歌われている。〕で徐々に出場機会を増やすが、打撃面での弱さが克服できず、広瀬宰とのレギュラー遊撃手争いが続く。に広瀬の移籍により遊撃手の定位置を得る。しかしには打力に優れた宇野勝にポジションを奪われ、出場機会は一気に減少、ほとんどが控えでの出場となった。しかし、宇野の守備が粗かった事と『燃えよドラゴンズ!』にも歌われた抜群の守備力で、スーパーサブとして勝ち試合の終盤には必ずといっていいほど出場。二塁手三塁手も器用にこなし、チームに欠かせない存在であった。のシーズン終了後に現役を退く予定だったが、翌シーズンから指揮を執る山内一弘にその能力を惜しまれ、引退を1年遅らされたという。
『燃えよドラゴンズ!V2』(1975年)には「ミヤーン打法」(前かがみになってバットを寝かせて構えるクラウチングスタイル)と歌われている。ミヤーンとは後に横浜大洋ホエールズに所属するフェリックス・ミヤーンのことである。
引退後はコーチや二軍監督( - )を経て、スカウトを務めていた。森岡良介又吉克樹などを担当した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「正岡真二」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.