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村上 龍(むらかみ りゅう、1952年2月19日 - )は、日本の小説家、映画監督。長崎県佐世保市出身。血液型はO型。武蔵野美術大学在学中の1976年、麻薬とセックスに溺れる自堕落な若者たちを描いた『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞、及び芥川龍之介賞を受賞。ヒッピー文化の影響を強く受けた作家として、村上春樹と共に時代を代表する作家と目される。代表作に、『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』『五分後の世界』『希望の国のエクソダス』『半島を出よ』など。 自身の小説を元に映画製作も行なう。1999年より、日本の金融・政治経済関連の問題を考えるメールマガジン『JMM』を主宰、以後、暗部に潜む政治経済関連の問題など時事報道に対してコメントするなど、文壇以外の世界にも積極的に関わっている。 == 来歴 == 長崎県佐世保市に生まれる。本名は村上龍之助で、これは中里介山の小説『大菩薩峠』の主人公「机竜之助」にちなんだもの。父は美術教師、母は数学教師であった。佐世保市立御船小学校、佐世保市立光海中学校を経て、1967年長崎県立佐世保北高等学校に入学。翌年、佐世保港にアメリカの原子力空母エンタープライズが入港、この際の反代々木系全学連の入港阻止運動に感動する。 高校在学中はロックバンドを結成し、ドラムを担当、その後解散し、ラグビー部の過酷な練習のためから退部をして新聞部へ移る。3年生の夏、高校の屋上を仲間と共にバリケード封鎖し、無期謹慎処分となる。3ヶ月に及ぶ謹慎期間中、ヒッピー文化に出会い大きな影響を受けた。1971年佐世保北高校を卒業、それに前後して再びロックバンドを結成し、文化会館を借りてロック・フェスティバルを行なった他、8ミリ映画の制作や劇団を作って活動するなどした。この年の春に上京し、現代思潮社の主宰する美学校のシルクスクリーン科に入学するも、半年で退学、同年10月から1972年2月まで、米軍横田基地に近い福生市に住んだ。1972年、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン科入学。この頃より、福生での体験を元に小説を書き始める。 1976年、基地の町で麻薬と乱交に明け暮れる若者の姿を描いた『限りなく透明に近いブルー』で第19回群像新人文学賞を受賞、同年第75回芥川龍之介賞を受賞し、衝撃的なデビューを飾る〔花田俊典 「村上龍」『21世紀を拓く現代の作家・ガイド100(国文学 1999年2月号臨時増刊)』、学燈社、184頁〕 。芥川賞選考会では評価が真っ二つに分かれ、文壇でも奥野健男・大岡信が評価する一方、江藤淳・柴田錬三郎は「題名が日本語になっていない、限りなく透明に近ければ色など着いていないはず」(筒井康隆「みだれうち冒涜ノート」)として批判するなど議論を呼んだ。同年、エレクトーン奏者の女性と結婚。男児をもうける。大学を中退したのち、本格的な作家活動に入る。 1980年、コインロッカーに遺棄された孤児の破壊衝動を描いた『コインロッカー・ベイビーズ』で第3回野間文芸新人賞受賞。以降、自伝的作品である『69 sixty nine』、日本を弱肉強食型の社会に変革しようともくろむ秘密結社「狩猟社」の闘いを描いた『愛と幻想のファシズム』(ともに1987年)、SM嬢を過激な性表現で描いた連作『トパーズ』(1988年)などを発表、小説執筆の傍ら自作の映画化に取り組むなどの活動を行なう。 パラレル・ワールドの日本を描いた『五分後の世界』(1994年、第30回谷崎潤一郎賞候補)などを経て、1996年、『69』の続編である『村上龍映画小説集』で平林たい子文学賞受賞。同年、女子高生の援助交際を描いた『ラブ&ポップ』を発表、アニメーション監督の庵野秀明が実写映画化した。1998年、サイコホラー風の作品『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞受賞。1999年より、金融・経済を中心に論議する場としてメールマガジン『JMM』を主宰し編集長を務める。同年、バブル景気の対応を批判した絵本『あの金で何が買えたか』を発表。以降、経済、社会問題に対する議論に積極的に関わるようになる。 2000年、引きこもりの青年が戦争に魅了されていく様を描いた『共生虫』を発表、第36回谷崎潤一郎賞受賞。同年発表した『希望の国のエクソダス』においても同様にインターネットが重要な役割を果たしており、日本社会に希望を失った中学生たちがインターネットを通じて新たな社会システムを作り挙げていく様を描いている。 2001年、未だ世界各地に埋没する地雷の除去費用寄付のためにと、友人である坂本龍一の呼びかけで結成されたチャリティーグループN.M.L.(NO MORE LANDMINE)の楽曲「ZERO LANDMINE」の歌詞の日本語訳を担当する。 2003年、中学生へ向けて働くことへの興味を促す目的で『13歳のハローワーク』を発表。2005年には日本への北朝鮮侵攻を描いた『半島を出よ』を発表、第59回毎日出版文化賞、第58回野間文芸賞を受賞した。 2010年11月5日、電子書籍を制作・販売する新会社G2010(ジーニーゼロイチゼロ)を設立。2011年『歌うクジラ』で毎日芸術賞受賞。 2013年には、G2010から新たに電子コンテンツブランドとして「村上龍電子本製作所」を立ち上げた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村上龍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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