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村上 紋四郎(むらかみ もんしろう、慶応元年8月15日〔衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、29頁。〕(1865年10月4日) - 昭和20年(1945年)1月21日)は日本の政治家。宮窪村初代村長、県会議員、今治市長、衆議院議員。 元最高検察庁次長検事村上常太郎は長男。政治家村上誠一郎は曾孫。 == 年譜 == * 1865年(慶応元年) - 愛媛県越智郡宮窪村(現今治市)に農業村上伊勢吉の子として生まれた〔村上紋四郎 - 村上誠一郎公式サイト 〕。父親の村上伊勢吉は福田の出身であるが、 宮窪村の徳丸リセと結婚したため、 宮窪に住み農業を営んだ〔。 紋四郎は、 戸代部落で私塾を開いていた僧のもとで勉強した。その後、 家業を助けて働いた。 * 1890年(明治23年) - 選ばれて宮窪村初代村長となる〔。7期約30年間、 その職を全うした〔。また、宮窪村漁業総代にも推され、後に漁業組合頭取に選任された〔。 * 1892年(明治25年) - 県会議員に当選〔。 * 1923年(大正12年) - 衆議院議員に初当選〔。憲政会に所属し、後に立憲民政党愛媛支部長となった〔。 * 1933年(昭和8年) - 今治市長に就任〔。 * 1945年(昭和20年) - 80歳で没した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村上紋四郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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