翻訳と辞書
Words near each other
・ 村上義一
・ 村上義光
・ 村上義則
・ 村上義弘
・ 村上義弘 (武将)
・ 村上義弘 (競輪選手)
・ 村上義忠
・ 村上義日
・ 村上義明
・ 村上義清
村上義礼
・ 村上義雄
・ 村上翔
・ 村上翔 (サッカー選手)
・ 村上耕平
・ 村上聖
・ 村上聖佳
・ 村上聖弥
・ 村上聡美
・ 村上肇


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

村上義礼 : ウィキペディア日本語版
村上義礼[むらかみ よしあや]
村上 義礼(むらかみ よしあや、延享4年(1747年) - 寛政10年10月22日1798年11月30日) )は、江戸時代中後期の旗本で、江戸南町奉行となった人物。通称、大学。官位は従五位下肥後守。
天明5年(1785年書院番となった。義礼の父は御三卿清水家の家老だったが、当主の馬の買い下げの件で不調法有りとしてお役御免となっていたことで苛めを受けた。しかし、これに堪えてのちに使番となった。
寛政4年(1792年)11月、西ノ丸目付にある時、通商を求めたロシアの使節ラクスマンと交渉する宣諭使〔「宜しくロシアを諭す」との意から新設された役職で、交易は長崎に限ると理解させ、平穏に帰国させることを役目とされた。菅江真澄の『見聞録』=51(陸奥新報社) ">HREF="http://www.kotoba.ne.jp/word/菅江真澄" TITLE="菅江真澄">菅江真澄の『見聞録』=51(陸奥新報社) 〕に目付石川忠房とともに選ばれ、蝦夷地松前に派遣された。そして、翌年6月27日の会見で、通商交渉のための長崎入港を許可する信牌を与えた。寛政6年3月目付、寛政8年9月に江戸南町奉行となった。寛政10年在任中に没した。
妹は、天明4年(1784年)に江戸城中で若年寄田沼意知を刺殺した佐野政言の室であった。
== 注釈 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「村上義礼」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.