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村上肇(むらかみはじめ、1898年(明治31年)1月15日 - 1978年(昭和53年)8月21日)は元多芸村長、化学者である。岐阜県養老郡養老町橋爪出身。 == 人物概要 == * 東京農業大学卒業後、前後2回富田高等女学校の教壇に立ち、30歳の若さで多芸村長を勤めた。 * 消防団長、在郷軍人分会長、村会議員等郷里の指導者として活躍し、日中戦争の際は昭和12年から昭和16年まで中国大陸を転戦し偉勲を立てる。 * 帰郷後、再び応召して終戦まで内地に勤務した。 * 戦後は将校だった為に、一時公職を追放されたが、昭和36年、37年度の日吉小学校PTA会長に推された。 * 文化的教養が高く、特に松月堂古流の総会頭として其界の発展に尽力した。 * 晩年は民生委員、児童委員のほか、文化財保護協会理事、同・副会長、養老町文化財保護審議会委員、町史編纂委員として活躍した。 * 人品よく、御大家の風格をそなえ、人に親切で世話をよくし、信望が厚かった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村上肇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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