翻訳と辞書
Words near each other
・ 村崎芙蓉子
・ 村崎野信号場
・ 村崎野駅
・ 村嶋修
・ 村嶋健一
・ 村嶋歸之
・ 村川一郎
・ 村川久子
・ 村川千秋
・ 村川和宏
村川堅固
・ 村川堅太郎
・ 村川大介
・ 村川市兵衛
・ 村川幸信
・ 村川康敏
・ 村川政徳
・ 村川梨衣
・ 村川梨衣の a りえしょんぷり〜ず
・ 村川梨衣の a りえしょんぷり〜ず♡


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

村川堅固 : ウィキペディア日本語版
村川堅固[むらかわ けんご]

村川 堅固(むらかわ けんご、1875年1月28日 - 1946年1月21日)は、日本の西洋史学者。

== 経歴 ==
熊本県生まれ。1898年、文科大学東京帝国大学)史学科卒業。1900年、陸軍大学校教授嘱託、英語圏における日本史研究の嚆矢として知られるジェームズ・マードックの『日本の歴史』の執筆を手伝う〔世界の日本研究 2003: THE STUDY OF JAPAN IN AUSTRALIA-A Unique Development over Eighty Years Misuzu Hanihara CHOW 編 国際日本文化研究センター, 2003.5.30. 〕。1903年、ヨーロッパに留学、1906年帰国、文科大学助教授に任ぜられ、1912年、教授。西洋古代史を専門とし、日本におけるこの分野の開拓者である。エジプト古代史、ギリシャ文化史、ローマ史などを講じ、著書として『西洋上古史』 (1916) 、『ギリシャ史』 (1931) などがある。古代のみならず西洋史一般に関心が深く、特に日本と西洋の交渉史研究が多かった。第一次世界大戦以後はその傾向が強く、『世界改造の史的観察』 (1920) 、『米国と世界大戦』 (1922) などがあり、ペイソン・トリートの『日米外交史』の訳 (1922) 、またレオポルト・フォン・ランケの『世界史論進講録』 (1918) は名訳とされた。
1926年(昭和元年)に自ら設計し建築された別荘は千葉県我孫子市寿にあり「旧村川堅固別荘」として千葉県の近代産業遺跡となっている。
東京大学でのち古代史を講じた村川堅太郎はその長男である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「村川堅固」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.