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村川 大介(むらかわ だいすけ、1990年12月14日 - )は、関西棋院所属の囲碁棋士。兵庫県西宮市出身。森山直棋九段門下。 == 略歴 == * 関西棋院の最年少プロ入り記録11歳10か月を持ち、将来を嘱望される。日本のプロ棋士で見ても、日本棋院での二十五世本因坊治勲の11歳9か月に次ぐ記録であった。(その後女流棋士枠での採用では藤沢里菜が11歳6か月で更新) また、当時囲碁界初の平成生まれかつ90年代生まれとしても注目され、2004年に廃止された大手合を経験した棋士で最年少である。 * 囲碁愛好家の父に5歳で囲碁を教えられ、その後小学に入ると碁会所に通うなどをして、実力をつける。 * 1999年 西宮市立鳴尾北小学校3年生で少年少女囲碁大会に出場し、柳澤理志などに勝ち3回戦まで進むも、敗退〔第20回少年少女全国大会小学生の部 〕。その後関西棋院院生となる。 * 2002年11月1日 同小6年の11歳10か月でプロ入りを果たす。橋本昌二・結城聡の持つ関西棋院の最年少プロ入り記録12歳1か月を2か月更新した。 * その後中野杯での優勝〔第6回中野杯 〕や三星杯本戦出場を決めるなど活躍。 *2010年11月5日 関西棋院第一位決定戦で第一位結城聡に挑戦し、2連勝で奪取。第一位の最年少記録を更新するとともに、タイトル獲得による昇段規定により、七段に飛付昇段。 *2011年9月22日 産経プロアマトーナメント戦決勝で倉橋正行を降し、優勝。関西棋院独自棋戦の2つともを占める。 *2011年9月26日 七段昇段のため、最後のチャンスとなった新人王戦で、安斎伸彰に2連勝し、関西棋院に結城聡以来18年ぶりに新人王タイトルをもたらした。 *2011年11月19日、関西棋院第一位決定戦で坂井秀至の挑戦を受けるも0-2で防衛ならず。 *2012年2月 国際戦の第4回BCカード杯予選で、伊田篤史とともに本戦入り。日本勢のBCカード杯予選突破は史上初。 *2012年6月、中国乙級リーグに初めて参戦する日本チームの一員(趙治勲・伊田篤史・一力遼)として参戦も、チームは最下位に終わり丙級へ降格となる。 *2012年10月4日、関西棋院第一位決定戦で第一位坂井秀至に挑むも2連敗で奪取ならず。31日、産経プロアマトーナメント決勝で、中野泰宏を降し2連覇。 *2012年11月8日、名人戦最終予選で小松英樹を降し、初の三大棋戦リーグ入りを果たす。翌3月28日、棋聖戦最終予選で坂井秀至を降し、棋聖戦初のリーグ入り。これにより3大リーグの2つに同時に入ることとなった。 *2013年10月5日、阿含・桐山杯決勝で、同年の誕生日が8日違いの志田達哉を降し、全員参加棋戦での初優勝を果たす。この優勝は、関西棋院初の阿含・桐山杯優勝となった。 *2014年第10回春蘭杯にシード選手として出場。中国の連笑に勝利しベスト16に進出するも、時越に敗れた。 9月11日、第62期王座戦本戦決勝で林漢傑を倒し、井山裕太王座への挑戦権を獲得。七大タイトル初挑戦となる。10月2日、第39期棋聖戦Bリーグ優勝を決め、挑戦者決定戦に進出。10月30日、瀬戸大樹を降し、2年ぶり通算3度目の産経プロアマトーナメント優勝。 *2014年12月16日、第62期王座戦で井山裕太王座を3-2で降し、王座奪取。初七大タイトル挑戦で奪取に成功した。第29期王座の橋本昌二九段以来、関西棋院の棋士が王座位を獲得(4人目)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村川大介」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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