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東京電力初の原子炉に沸騰水型が採用された経緯 : ウィキペディア日本語版
東京電力初の原子炉に沸騰水型が採用された経緯[とうきょうでんりょくはつのげんしろにふっとうすいがたがさいようされたけいい]
東京電力初の原子炉に沸騰水型が採用された経緯(とうきょうでんりょくはつのげんしろにふっとうすいがたがさいようされたけいい)では東京電力原子力発電に関心を示し、最初に建設を決めた原子炉である福島第一原子力発電所1号機に沸騰水型原子炉を採用したいきさつについて説明する。
== 東京電力の社内調査着手 ==
当時東京電力副社長で立地選定の途中で不祥事の責任を取って一旦降格し、その後社長に昇格することになる木川田一隆〔後に経済同友会の代表幹事を務め、生まれは福島県だった。〕は元々原子力に対して否定的なスタンスの持ち主だった。アイゼンハワー平和のための原子力演説が行われた翌年の1954年、日本でも原子力予算の大幅な増額が国会で可決されたが、この頃木川田は東京電力企画課長の着任したばかりの成田浩に向けて「原爆の悲惨な洗礼を受けている日本人が、あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない」と語っていたという〔木川田の初期の原子力技術に対するスタンスについては「コールダーホール型原子炉」〕。
しかし、その翌年読売新聞社社主にして衆議院議員であった正力松太郎を中心とした導入推進運動が活発化し、その主導権を巡って日本発送電を分割民営化した9電力会社と電力を所管する通商産業省(及びその意向を汲む電源開発)との間で熾烈な争いが始まった。この件については両者の出資で原子力発電所導入のパイロット機関として日本原子力発電を設立し、イギリスからコールダーホール型を導入することで決着がついたが、その間の1955年11月1日、東京電力は社長室に原子力発電課を新設、木川田の内心がどのような経緯で変化したのかについては誰も分からなかったものの、以降は原子力発電を肯定する立場にシフトした。
当時、東電常務だった白沢富一郎によれば、木川田は田中直治郎を中心とした特別プロジェクトを編成し、社として調査を実施していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東京電力初の原子炉に沸騰水型が採用された経緯」の詳細全文を読む



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