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東信電気 : ウィキペディア日本語版
東信電気

東信電気株式会社(とうしんでんき)は、大正から昭和初期にかけて存在した日本の電力会社である。
== 沿革 ==
鈴木三郎助(二代目)は、鈴木商店(現在の味の素株式会社)を設立する傍ら、電気化学事業への進出を考えていた。鈴木商店はヨードの製造を行っており、1915年大正4年)より副産物の塩化カリウムを電気分解して、マッチの原料となる塩素酸カリウムの製造を行っていた。当時川崎工場には小規模な水力発電設備しかなく、関東地区の電力網にも余裕が乏しいため電力の購入には限界があった。水力発電で大量の電力が賄えればコストダウンができ、余剰電力が生じた場合には砂鉄の電気精錬を行うことまで考えていた。三郎助は、芝浦製作所(現在の東芝)の常務取締役の岸敬二郎に相談を持ちかけた。水力発電の第一人者といわれる岸はこの案に賛成し、長野電灯取締役の小坂順造と高橋保を紹介する。長野電灯は千曲川上流の南佐久地方に4か所の未開発の水利権を有していた。1916年6月に東信電化工業を設立し、同年11月に長野県知事より河川利用許可を得た。調査の結果、発電量が計画を大幅に上回ることが判明し、事業計画を一部変更して1917年8月18日に東信電化工業の一切の権利を引き継いで東信電気を設立した。東信電気は1917年11月より土村第一発電所の建設に着手。翌年には土村第二発電所も着工したが、三郎助は味の素事業に追われ、現場が東京から離れていたこともあり、十分な管理ができなかった。1919年8月に東信電気は、千葉県でヨードの製造を行い、経営危機に陥っていた総房水産を吸収合併。総房の森矗昶を建設部長に招き入れた。森は土村第一・第二発電所を完成させたのち、1920年6月に竣工した小海工場の工場長に就任。鈴木商店葉山工場と旧総房水産館山・清海工場の塩化カリウムを原料とする塩素酸カリウムの製造を開始した〔『味の素グループの百年』p67-69〕。
第一次世界大戦後にスウェーデンのクルーゲル社が日本に進出すると、ダンピングや日本のマッチメーカーの買収、日本企業からの原料購入ボイコットを行い、日本の塩素酸カリウム産業は壊滅した。1920年10月、三郎助は森に塩素酸カリの製造中止を命ずるとともに、建設中であった土村第三発電所と箕輪発電所の建設を急がせた。これらが完成すると、千曲川水系の4つの発電所と送電線を資産として第二東信電気を設立、東京電灯と対等合併させた。東信電気は、未開業であった明治水力電気を合併、同社の持つ高瀬川水系の発電所、さらに千曲川水系の穂積・海瀬の発電所に着手した。森は負債を整理して、1922年6月に森興業を再興し、社長に就いていた。森興業は東信電気から館山・清海の両工場を買い戻し、ヨード製造を開始。1926年には日本沃度を設立し、両工場を移管した。東信電気は、阿賀野川水系の水力発電会社を買収し、1929年には千曲川3か所、高瀬川5か所、阿賀野川2か所の合計147,800キロワットの発電能力を持つ一大発電会社に成長した。しかし、関西系の電力会社の進出もあり、関東での電力供給は過剰となった。森の提案により、東信電気と東京電灯折半出資の昭和肥料が設立され、余剰電力を使った石灰窒素硫酸アンモニウムの製造がおこなわれた〔『味の素グループの百年』p84-85〕。日本沃度(1934年3月に日本電気工業に社名変更)は、大町の製錬所で1934年1月よりアルミニウムの製錬を開始している〔『アルミニウム外史 上巻』p135〕。
1938年3月26日、第73帝国議会において電力管理法が可決される。森は日本電気工業・昭和肥料・東信電気の3社合併を提唱したが、東信電気株主の東京電灯や鈴木一族は安定した電力会社であること、のちに日本発送電に参加する際の1:1.4の評価を選んだ。その結果日本電気工業と昭和肥料との合併にとどまり、1939年2月23日に2社が合併して昭和電工が発足した〔『アルミニウム外史 上巻』p139-141〕。一方東信電気は、1941年5月に水力発電所18か所、送電線4路線を日本発送電へと出資するよう命ぜられる〔「日本発送電株式会社法第五条の規定に依る出資に関する公告」『官報』第4313号、1941年5月27日、〕。出資設備の引継ぎは同年10月1日付で実施され、東信電気は日本発送電から同社株式の交付を受けた〔『日本発送電社史』業務編、11-12頁〕。すべての電力設備を日本発送電へと出資した東信電気は翌1942年1月20日付で解散した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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