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東北民主連軍航空学校[とうほくみんしゅれんぐんこうくうがっこう]
東北民主連軍航空学校(とうほくみんしゅれんぐんこうくうがっこう)とは、1946年3月1日に設立された国共内戦期の八路軍の航空学校。第二次世界大戦終結後、大日本帝国陸軍の関東軍第2航空軍独立第101教育飛行団第4練成飛行隊長林弥一郎少佐を始めとする、隊員300名余りが教官となって八路軍のパイロットを養成した。 == 概要 == 1945年10月、林弥一郎少佐は瀋陽の東北人民自治軍総部で林彪、彭真、伍修権から八路軍空軍設立を要求され、隊員の生活保障を条件として空軍設立に協力することを受け入れた。1946年1月1日に航空総隊が設立され、2月3日の通化事件では、林少佐や中華民国政府に協力しようとした飛行隊員は逮捕され、航空技術を持たないものは炭鉱送りとされた。3月1日に東北民主連軍航空学校と改称された。 東北民主連軍航空学校では練習機として一式戦闘機、九九式高等練習機、P51などを使用していた。日本人に対する人事や指導は日本人八路軍人の杉本一夫が行った。中華人民共和国建国後の1949年末、更に6ヶ所の航空学校が開校され、中国人民解放軍第七航空学校に改編された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東北民主連軍航空学校」の詳細全文を読む
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