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東 季彦(あずま すえひこ、1880年1月 - 1979年7月)は、日本の法学者、出版事業家。旧姓乾(いぬい)。商法の権威として知られた。佐佐木信綱門下の歌人でもある。 == 経歴 == 奈良県十津川村出身。親類東武(衆議院議員、出版事業家)の養子となり、東姓を名乗る。1889年8月、故郷が大水害に遭ったため、同年11月、一家で北海道新十津川村に移住。村の小学校を卒業した後、上京して旧制開成中学に入学。同校を卒業後、旧制第一高等学校から東京帝国大学法学部を卒業し、陸軍経理学校の教授に就任。 1922年、文部省留学生として渡欧し、英・独・仏で民法を研究。1924年に帰国し、九州帝国大学法文学部教授に就任。 1929年、日本大学法文学部教授。1939年、法学博士号を受ける。1938年、養父東武によって創立された北海タイムス社に入り、監査役と常務を歴任。1942年、北海道新聞社の初代社長に就任。同年、開成中学校長を兼任。 戦後は日本新聞聯盟常任理事・事務局長を経て日本大学に戻り、1951年、法文学部長に就任。1960年から日本大学理事。1962年、日本大学学長に就任。学園紛争では強硬派として日大全共闘と対峙。 1966年、勲二等受勲。国士舘大学法学部教授を経て、1969年から日本大学顧問。 著書に、随筆集『マンモスの牙』(図書出版社、1975年)がある。 兄乾政彦は大学教授で弁護士、法学博士。一人息子東文彦は三島由紀夫の同人誌仲間で室生犀星の門人。新進作家として才能を嘱望されていたが、1943年に夭折した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東季彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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