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東安鎮事件[とうあんちんじけん]
東安鎮事件(とうあんちんじけん)は、1939年5月末に、アムール川(黒竜江)の饒河県東安鎮上流20km付近で発生した、ソビエト連邦と満州国の武力衝突である。アムール川に浮かぶ島を巡って起きた国境紛争であり、一連のソ満国境紛争のひとつに数えられる。 == 背景 ==
ロシア沿海州と満州の国境を流れるアムール川を巡っては、満州事変以前から中ソ間の領土問題が存在した。特に、川上の島の帰属を巡る対立があり、ソ連側はアイグン条約を根拠に全島がソ連領であると主張していたのに対し、中国側はアイグン条約は不平等条約で無効であり、川の中央を国境線とする国際法の原則によるべきとの主張を行っていた。1931年(昭和6年)に日本が満州事変を起こした後も、日本・満州国と、ソ連の間で対立の構図が引き継がれていた。武力衝突もたびたび起きており、1937年(昭和12年)には乾岔子島事件で日本軍がソ連砲艇を撃沈している。 饒河県東安鎮からアムール川を20kmさかのぼった付近、満州国領の南屯とソ連領ヴィドナヤ間に浮かぶ偏瞼子島も、そうした領有権主張が対立している島のひとつであった。満州国軍は、東安鎮に騎兵第10団(連隊に相当)を駐屯させるとともに、江防艦隊第2戦隊の砲艇「恩民」「済民」を配置し、付近の国境警備に当てていた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東安鎮事件」の詳細全文を読む
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