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東宝スタジオ(とうほうスタジオ)は、日本のスタジオである。東京都世田谷区成城・砧にある東宝の映画・テレビのスタジオであることから、東宝撮影所(とうほうさつえいじょ)、砧撮影所(きぬたさつえいじょ)と通称される(ちなみに映像業界内で単に“東宝”に行く・いる・で撮影しているなどと言った場合、このスタジオの事を指す)。 日本国内の撮影スタジオでは最大規模であり、東映京都撮影所・東映東京撮影所・日活撮影所・角川大映撮影所などと並び日本の映像業界を代表する撮影スタジオである。 == 歴史 == * 1932年(昭和7年) - 写真化学研究所(PCL)が同地に映画スタジオを竣工、「ピー・シー・エル映画製作所」とした。当初は録音専門のスタジオであったが、1933年(昭和8年)、『音楽喜劇 ほろよひ人生』を皮切りに自主製作に踏み切る。 * 1937年(昭和12年) - 小型スタジオのNo.3・5ステージ(後にNo.5・6ステージと改称)を建設。 * 1937年(昭和12年) - PCL、PCL映画製作所が、京都のJ.O.スタヂオと合併して「東宝映画株式会社」となったのに伴い、「東宝映画東京撮影所」と改称される。中型のNo.6・7ステージ建設(2002年に解体)。 * 1941年 - 京都撮影所(旧JO)が閉鎖され、さらに東宝映画が東京宝塚劇場と合併して、現在の東宝株式会社となった。以来、東宝撮影所、砧撮影所と呼ばれるようになる。 * 1948年(昭和23年) - 東宝争議の舞台となり、混乱して一時映画製作を中止するが再開する。 * 1971年(昭和46年) - 現在の「東宝スタジオ」に改称されて、もっぱら貸しスタジオとなる。 * 2003年(平成16年) - 総額50億円をかけて「スタジオ改造計画」を開始。スタジオ・施設の増改築やポストプロダクション施設の最新化を進める。 * 2008年(平成20年) - 第1次スタジオ改造計画完了。6つの新ステージと5つの施設が完成。 * 2009年(平成21年)1月 - 第2次スタジオ改造計画が発表された。新たに2つの新ステージとポストプロダクションセンター、スタッフルーム棟2棟の建設が発表された。計画の一次段階と合わせた総工費は約100億円。 * 2010年(平成22年) - 2004年から始まったスタジオ改造計画により、No.1・2・5・6ステージ解体。最新のポストプロダクションセンターと新No5・6ステージとスタッフルーム棟が完成した。現在も敷地内を横断する道路やメインゲート周辺の工事が進行中である。 * 2011年(平成23年) - 2003年から始まったスタジオ改造計画が完了し、新たにステージ8棟・スタッフルーム棟2棟・キャストルーム棟・装飾棟・大道具棟などを建設。スタジオの内の建物の90%以上が建て替えられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東宝スタジオ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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