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東宮武官(とうぐうぶかん)は、東宮武官官制(明治22年勅令第138号)によって制定された、宮中並びに陸海軍の官職。東宮即ち皇太子の軍務につき常侍奉仕した。当初の規定では陸軍のみから選ばれ佐官1名尉官3名で構成された。1891年(明治24年)6月の官制改正で将官から任用される東宮武官長が新設され、1897年(明治30年)10月の改正で初めて海軍武官による東宮武官が定められた。1898年(明治31年)、1910年(明治43年)の改正を経た東宮武官の構成は、武官長1名、陸軍からの武官5名と海軍からの武官3名の他、陸軍軍属2名、海軍軍属1名。任用される武官は陸海軍ともに大尉以上中将までで、参謀である者とされた。皇太子裕仁親王即位にあたり東宮武官は廃止された。 == 東宮武官歴任者 == === 東宮武官長 === ※階級は就任時。以下各武官も同じ。 ※武官長は全て陸軍武官 * 奥保鞏少将:1891年(明治24年)6月13日 - 1893年(明治26年)11月10日(最終階級:元帥陸軍大将伯爵) * 黒川通軌中将:1893年(明治26年)11月10日 - 1897年(明治30年)10月21日(男爵) * 黒田久孝中将:1897年(明治30年)10月21日 - 1900年(明治33年)12月5日(在職中に死去。男爵) * 村木雅美少将:1901年(明治34年)2月9日 - 1912年(大正元年)12月17日(最終階級:陸軍中将男爵) * 山根一貫大佐:1912年(大正元年)12月17日 - 1917年(大正6年)8月2日(在職中に死去。男爵。山根信成陸軍少将の子。) * 小川賢之助少将:1917年(大正6年)9月22日〔『官報』第1545号、大正6年9月25日。〕 - 1920年(大正9年)6月19日(在職中に死去) * 奈良武次中将:1920年(大正9年)7月16日 - 1922年(大正11年)11月24日 * 奈良武次中将:1922年(大正11年)11月24日 - 1926年(昭和元年)12月25日(兼職。本職は侍従武官長。最終階級:陸軍大将男爵) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東宮武官」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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