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東郷文弥節人形浄瑠璃 : ウィキペディア日本語版
東郷文弥節人形浄瑠璃[とうごうぶんやぶしにんぎょうじょうるり]
東郷文弥節人形浄瑠璃(とうごうぶんやぶしにんぎょうじょうるり)は、鹿児島県薩摩川内市東郷町斧渕(旧・薩摩国薩摩郡東郷斧渕村)に江戸時代前期頃より伝わる人形浄瑠璃。2004年に鹿児島県の指定無形民俗文化財に指定され〔、2008年には国の重要無形民俗文化財に指定された〔プレス発表資料 - 文化庁 2011年8月13日閲覧。〕〔国指定文化財等データ 東郷文弥節人形浄瑠璃 - 文化庁 2013年7月9日閲覧。〕。
== 歴史 ==
元禄年間に参勤交代に随行した東郷(現在の薩摩川内市東郷地域)の郷士が上方より文弥節の師匠を連れ帰り広めたものと考えられており〔国指定文化財等データ 東郷人形浄瑠璃 - 文化庁 2011年8月13日閲覧。〕、神社への奉納や結婚式、集落の行事などでよく演じられた〔東郷文弥節人形浄瑠璃 - 鹿児島県 2012年6月11日閲覧。〕。
しかし、明治に入った頃より浄瑠璃に対する関心が薄れ、暫く演じられていなかった。再び1936年昭和11年)に藤川天神の宮司であった川添栄太郎によって一時的に復活したが、第二次世界大戦の開戦と共に中断された〔東郷町郷土史 p.741〕。終戦後の1949年昭和24年)頃より東郷町人形浄瑠璃振興会が結成され、再び演じられるようになったが、1952年昭和27年)を最後に振興会は解散し、再び演じられなくなった〔。
1966年昭和41年)に再び東郷文弥節人形浄瑠璃保存会が結成され、再び演じられるようになった〔。1971年昭和46年)に東郷町の指定文化財となり、1980年昭和55年)には文化庁により「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」(選択無形民俗文化財)に選定された〔東郷町郷土誌 続編〕。その後2004年には鹿児島県の指定無形民俗文化財となり〔〔国指定にあたり、現在は地方公共団体の指定は解除されている〕、2008年には国の重要無形民俗文化財に指定された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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